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フィアット 500の誕生とイタリア参戦前夜 1936-1940

世界恐慌の後、アメリカは自らの国力を活かしたニュー・ディール政策を実施、イギリス・フランスなどは外部の影響を排する植民地とのブロック経済をつくり対応しました。
しかし、大規模な政策やブロック経済を実施する経済力の無いイタリア、ドイツ、日本などは経済力増強と資源確保を求めて対外侵略政策へ傾いて行きます。

fiat500トポリーノ 01

1935年10月イタリアはついにエチオピアへの侵攻を開始します。
この侵攻にはフィアットなどの大資本は反対でしたが、すでに行き詰ってしまっていた中小資本層の支持により強行されました。
当初イタリアのドイツへの接近を恐れ宥和政策をとっていたイギリス、フランスはこの行動を看過していましたが、短期戦で終わると思われた戦闘は半年以上に及びイタリア軍はハーグ協定で禁止された毒ガス(マスタードガス)の使用に踏み切りました。
その結果、世界世論は一斉にイタリア非難へと変わり、唯一ドイツのみがイタリアへの援助を続け、両者の間は急速に接近して行く事となります。

パッケージ

やがて、イタリアはスペイン内乱へのドイツとの共同介入を経て1937年に日独伊三国防共協定を結ぶ事となりますが、ムッソリーニ自身は生来のドイツ嫌いだったそうです。(当時のイタリア人はドイツ嫌いが多かったそうです)
また、バルカンへの経済進出を望む財界もバルカンへの野望を隠そうとしないドイツとの協定は反対でイギリス・アメリカ寄りの政策への転換を要望していました。
教皇庁も人種差別政策をとるナチを非難しており、ドイツとの同盟はムッソリーニへの支持の低下にその後繋がって行く一因となります。

fiat500トポリーノ 02

この当時のイタリアの経済政策で代表的なのがIRI(産業復興公社)の設立です。
1933年に設立されたIRIはイタリアの三大銀行の経営参加資本の管理・清算を引き継ぎ、莫大な工業株式を所有する事となります。
開戦までに工業資本の約4分の1を所有する事になるこの公社によって政府は全産業を統制し、戦争経済のために再編する事が可能な筈でした。
しかし、実態としては任命された民間企業出身の理事にその経営は握られており、フィアットなどの大資本が超え太るためだけに利用され全体としての計画は全くと言っていいほど進展しませんでした。
つまり、掛け声だけでイタリアの軍備は進んでいなかったのです。

fiat500トポリーノ 03

そんな世相の中、1936年に登場したのが「フィアット 500」トポリーノです。
バリッラの成功でイタリアの大衆車市場を大きく開拓したフィアットでしたが、アニェッリはヨーロッパの中でも低所得層が多いイタリアではよりイニシャルコストの安い車が必要だと感じていました。
それに取りかかったのが以前の自動車部門の設計主任で当時は航空機部門のエンジン設計室長だった「アントニオ・フェッシア」(後にランチアでフラビア、フルビアの設計を手がけます)です。
そして、その部下でフィアット500のエンジンとシャーシーの設計を担当したのが「ダンテ・ジアコーザ」です。

fiat500トポリーノ 04

フィアット500の開発は自動車として最小限界に挑む事でした。
当時本格的な小型車のエンジンの最小サイズは750cc程度、全体のレイアウトなどは大型車をそのままスケールダウンしたものでしたが、フィアット500はミニマムカーに最適化されたレイアウトを採用した初めての小型大衆車でした。
その点でフィアット500はヨーロッパ小型大衆車の歴史上「オースチン・セブン」「MINI」などと並ぶエポックな存在といえると思います。

fiat500トポリーノ 05fiat500トポリーノ 06

シャーシは一般的なラダーフレームですが軽量化の為、各所に孔が開けられ、長さもリアタイヤ手前までしかありませんでした。
エンジンは背の低いサイドバルブ水冷4気筒を前輪車軸より前に搭載し、その背後にラジエーターを背負うという極端な前置きですが、コレによって乗員の足下に余裕を生み出しました。
2座に割り切った為、小型車ながらも居住性は良く、車重も535kgに抑えられました。

fiat500トポリーノ 07

低価格の小型車ながらも500には3、4速にシンクロ・メッシュのギアボックス、前輪独立懸架、油圧ブレーキという上級車譲りのメカニズムを搭載し、ボディは1500と同系の空力に優れたスタイリングを採用しています。
特に油圧ブレーキは他のヨーロッパ車の大半がメカニカル式のブレーキを使っていたのに比べると破格の装備といえるでしょう。
569cc13HPという非力なエンジンにも関わらず、軽量で空力のよいボディのお蔭げもあって最高時速は85km/hと当時としては十分な速度を得る事ができ、燃費も16.7km/lと優秀なものでした。

fiat500トポリーノ 08

価格は計画の当初では5,000リラ程度を考えていましたが、高度なメカニズムを採用した結果8,900リラとなってしまいましたが、それでもバリッラより2,000リラ以上安く、当然の如く500は大ヒットとなました。
イタリア中で愛されたFIAT500は、その愛嬌のあるマスクと小さいながらも機敏に動く様からハツカネズミ「トポリーノ」という愛称で呼ばれる様になりました。
実際に発売されると2人乗りのトポリーノに対して4~5人を乗せて使ってしまう人が多く、そういった想定外の使用方法に対してはリアの剛性不足が見られた為、その対策として4万6千台を生産した時点でフレームはリアエンドまで延長され、リアスプリングも強化、メインフレームにもXメンバーが追加されるなどの強化が施されています。
この強化版のトポリーノは12万2千台が生産されました。

シムカ5 01

バリッラとトポリーノのヒットにより、いよいよ生産能力の拡大が必要となったフィアットは同年ミラフィオーリ工場の建設に着手する事となります。
100万平方メートルという広大な敷地を持つこの工場は、拡張性に欠けたリンゴット工場の垂直式組立て方式ではなく、より一般的な平屋の水平形工場でした。
ミラフィオーリ工場は1939年に完成し、2万2千人の工員が2交代制で働くフィアットの新たな中核工場として稼働を始めました。 

シムカ5 02

フランスに設立されたシムカでも1936年にトポリーノは「シムカ5」として発表、発売されます。
シムカ5の発売はその商品力に驚異を感じたルノーから1年の発売延期要請が入ったほどですが、シムカはこれを無視して発売を強行します。
ルノーの危惧通り、シムカ5はフランスでもヒットし39年までに6.万5千台を販売、翌年発売されたヌオーバ・バリッラのシムカ版である「シムカ8-1100」と合わせてシムカをフランス第4位のメーカーにまで躍進させました。

シムカ5 03

今回使用しているフィアット500のモデルは前回のバリッラと同じデアゴスティーニの「イタリア自動車100周年」シリーズの1点です。
原型制作はブルムだと思われますが、製作が新しいせいか私の持っている他の同社製トポリーノやシムカ5に比べて塗装が少し丁寧な気がします。
コチラのモデルも全体のバランスはまずますですが、ヌオーバ・バリッラと同じくフロントグリルからボンネットにかけてのラインがやや直線的すぎて流線型デザインの良さをいささか損なっている部分があるのは否めません。
ワイパーが1本なので、このモデルはトポリーノのA型だと思われます。
トポリーノはこういった最廉価の車でもツートンカラーでお洒落に仕上げているのがイタリアらしい所でしょうか。

シムカ5 04

もう一つのモデルはトポリーノのフランス版である「シムカ5」のデリバリーバン仕様のフォルゴネットです。
ブルム製のこのモデルはシムカ5の広告車の様で車体には「300kg積めます」とか「5リッター以下で100km走れます」とかこの車の経済性を謳う宣伝文句が書いてある様です。
モデル化された車体はワイパーが2本になっていますので、1948~49年度のみ生産されたエンジンをOHV化したB型仕様だと思われます。(パッケージには1936年って書いてあるんですが。^^;;)
トポリーノB型には他にも4人乗りに拡張されたワゴンモデルのジャルディニエラもありますが、ジャルディニエラの後部ハッチは1枚扉で窓有りなのに対してフォルゴネットは観音開きの2枚扉で窓がありません。

シムカ6 05シムカ6 06

ドイツは1939年8月に独ソ不可侵条約を締結、翌9月にはポーランド侵攻を開始し第二次世界大戦が開戦します。
ドイツと同盟を結んでいたイタリアは開戦準備の遅れを理由に当初は中立を保ちます。
この商機を逃すアニェッリではありません。シムカを通じてフランス軍からは2200台の軍用トラックの発注を受け、イギリスからは航空機用エンジンを販売、スペイン、ハンガリー、日本など敵味方問わず様々な製品を外国に輸出しました。

シムカ6 07

イタリア国内で一番の生産能力を持つフィアットがその様な状態ですからもちろんイタリア軍の軍備はあまり進展しませんでした。
フィアットとしても実際に他の国とイタリア軍の軍備の比較を行いましたが、結果は最悪でした。
アニェッリは戦争の準備が遅れ体制が整っていない状態ではイタリアの参戦は無いだろうと考えていた様です。

シムカ6 08

しかし、アニェッリの期待に反してドイツのフランス侵攻が順調だった事からムッソリーニはこの大戦は早期終結するだろうと考え、周囲の反対を押し切り1940年6月にイギリス・フランスに対して宣戦布告を行います。
そして、それはアニェッリとフィアットに最大の危機をもたらす事になるのです。

FIAT500 & シムカ6

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【2007/04/28 03:03】 | ミニカー イタリア車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
フィアット ファシストの勢力拡大とバリッラ登場 (1929-1937)

ティーポ501、509の成功によりイタリアにおける自動車の大衆化を大きく進めたフィアットはグループ各社(特に軍需関連)の輸出も好調で1926年にはその売上げはヨーロッパの機械産業各社の中で最高に達します。
その後政府のリラ防衛政策により輸出が落ち込んだものの、それに耐えきれなかった他の中小企業を吸収しつつ益々の発展を遂げていきます。

フィアット508バリッラ

一方ファシズム政権は1925年には首長の権限大幅強化、翌年には政府の立法権の確立とそれに基づきファシスト党以外の政党を非合法化、1928年末にはファシズム大評議会が国家の最高機関に昇格とムッソリーニの独裁体制を着々と築いていきました。
フィアットは政府の産業振興策を利用しながらも一歩離れたスタンスを維持していましたが、それを変化させる事態が続けて起こります。

一つ目はフォードのイタリア進出です。
アメリカのメーカーとしていち早くヨーロッパ進出を果たしたフォードはイギリス、ドイツ、アイルランドの工場に続いてイタリアにも工場建設計画を立ち上げます。
その規模、年間生産台数20万台。当時のフィアットの年間生産台数が約4万台ですから如何に大規模な計画だったかが分かります。

パッケージ

フォード全体での年間生産台数は200万台を越えていましたから資本の面でも技術の面でもフィアットに対抗する手段は無く、巨象の前のネコ(蟻やネズミよりはマシって程度)も同然でした。
様々な政治的対抗手段が不発に終わってしましい、いよいよ行き詰まったアニェッリはムッソリーニに直談判に訴えます。
それは見事に功を奏し工場建設の認可は取り消され、イタリア市場は外国のメーカーに対して閉ざされる事となりました。

フィアット508 01

二つ目はイタリアの統一以来続いていた教皇庁との諍いを解決し、相互承認しあうラテラーノ条約を締結した事です。
イタリアでは19世紀の国家統一時までは教皇庁が独自の領土が所有していましたが、統一時にその所有は認められず王国が教会の世俗的な権利を多く廃止したため、教皇庁側は逆に王国の存在を認めず、以後両者の対立が続いていました。
ムッソリーニは教皇庁に対しヴァチカン市の領有権を認め、没収したその他の財産については違約金を払い、イタリア国内での司祭の特権を認めるなどの譲歩を行い和解を実現しました。
この結果国内の支持率は急上昇し、条約締結直後の国民投票では賛成票が98%を超えたそうです。

フィアット508 02

最後の3番目は1929年にアメリカに端を発した世界恐慌です。
第一次世界大戦以降のヨーロッパの産業はアメリカからの資本投下に支えられている状況でしたので、アメリカで恐慌が起き、その資本が引き上げられると各国の経済は破綻し深刻な不況に陥りました。
イタリアも例外ではなくフィアットの売上げは半減してしまいます。
アニェッリは再びムッソリーニに直談判し、保護関税の再度引き上げ、ガソリン税の引上げ、営業自動車に自動車税廃止、道路交通網の整備などを実施して貰い、約2年後にようやく一息つく事ができる状況となりました。
これらのムッソリーニへの借りとその支持率の高さからアニェッリもついにファシスト支持に回らざる終えず、自身もファシスト党に入党し、フィアットの本社前にはムッソリーニを称える金文字が飾られたのでした。

フィアット508 03

大恐慌からの復帰の目処が立ち始めた1931年、フィアットは乗用車では「515」「522」「524」の3機種を発表、商用車では初のディーゼルトラック「632N」「634N」と初の農業用トラクター「700C」と積極的なニューモデル攻勢にでます。
そして翌1932年にフィアットは戦前の大衆車での最高傑作車といわれる「ティーポ508 バリッラ」を発表・発売します。
前年発表の「515」の半額近い安低コストなこの小型車は、995cc4気筒サイドバルブ、出力20HP/3400rpmというという小型エンジン搭載で4輪油圧ブレーキという以外はこれといって優れたメカニズムは持っていませんでしたが、簡潔故に安く壊れにくく当時のヨーロッパでも「最も金のかからない車」と言われました。

フィアット508 04フィアット508 05

特筆できる性能が無い変わりに全体のバランスが良く扱いやすい車体で最高速度も85km/hと当時の道路事情には十分な速度が出、燃費も12.5km/lと優秀でした。
故障したとしてもシンプルな部品は安く、修理自体も簡単でした。

フィアット508 06

この車はもちろん大ヒットとなり1937年までの約5年間に11万3千台が生産される事となりました。
この車に付けられた「バリッラ」というサブネームは元々は「悪戯っ子」というような意味も持つイタリア語ですが、この場合は当時のファシスト党の青年エリート育成組織に付けられた名称で「勇敢な若者」という意味になるのだそうです。
このネームが付けられている辺り、当時のフィアットとファシスト勢力の力関係が伺えます。

508バリッラ 07

1934年に登場した「508S バリッラ・スポルト」は軽い2座のスパイダーボディをまとったスポーツカーです。
エンジンにはOHVのコンバージョンキットが組み込まれており出力36HP/4400rpmまでパワーアップ、790kgという超軽量なボディとの組合わせでトップスピードは110km/hを記録しました。
同時期の英国製ライトスポーツと比較しても優れた運動性を発揮し愛好家の人気を博しました。
1,000台ほどしか生産されなかったバリッラ・スポルトですが、現在でもクラシックカーレースなどで元気な姿を見る事ができます。

508c ヌオーババリッラ 01

同じ1934年にフィアットは「エンリコ・ピゴッツィ」と共同出資でフランスに「シムカ」を設立します。
フランスも大恐慌以来自動車に禁輸的関税を課していましたが、シムカは関税のあまりかからないパーツとしてフィアット車を輸入し自社でアセンブル、フランス車として販売を開始したのです。
その初期の主力となったのが508のシムカ版である「シムカ・フィアット 6CV」で、フランス市場でもこの車は大歓迎されたのでした。

508c ヌオーババリッラ 02

1937年にはバリッラも初のフルモデルチェンジを受け「508C ヌオーバ・バリッラ1100」となります。
モデルチェンジといっても先代との共通点はエンジンの基本構造くらいで、基本的な成り立ちはむしろ1935年に発表された先進的なセダン「フィアット 1500」に類似しており、X型バックボーンフレーム、前輪独立懸架、モダンな流線型ボディなどを継承しています。
特にヨーロッパの量産車としていち早く空洞設備を使用し実現した空気抵抗の少ないボディデザインは航空機部門も持つフィアットならではと言えるでしょう。
前述の1500とこの508C、そして次回登場予定の500はこの当時のヨーロッパ大衆車としては間違いなく最も進んだ設計を取り入れてかつ最も低価格で手に入れられる車でした。

508c ヌオーババリッラ 03

ヌオーバ・バリッラにもスポーツモデルがあり、コチラは「508C MM」というクーペモデルです。
横から見ると翼型断面を持つ当時最先端の空力ボディを纏った508C MMは1938年のミッレ・ミリアで平均速度112km/hというクラスレコードを記録してクラス優勝を飾りました。
508Cヌオーバ・バリッラはマイナーチェンジを繰り返しながらも1953年までと長期に渡って生産された事からバッリラの意味にかけて「万年青年」と呼ばれる事もあります。

508c ヌオーババリッラ 03

「ティーポ508 バリッラ」のモデルは「デアゴスティーニ」が本拠のイタリアで展開していた「イタリア自動車100周年」シリーズの1点です。
この車種の原型の制作はRIOでしょうか?
モデルは508の前期型でオプションのリアトランクを装備しています。
全体の雰囲気は悪くはないですが、フロントグリルがやや幅が狭いのとライトがやや小ぶりなのでマスクが多少違って見えますが、ネームバッジなど細かいところまでキチンと再現されていますし、ディティールもカッチリと表現されています。

508c ヌオーババリッラ 04508c ヌオーババリッラ 05

「508Cヌオーバ・バリッラ」のモデルはブルム製でバリッラ1100の初期型イタリア軍仕様です。
まぁ軍仕様といっても迷彩塗装とフラッグポールを装備しているだけですが。^^;;
コチラのモデルも全体のバランスはまずますですが、フロントグリルからボンネットにかけてのラインがやや直線的すぎてバリッラ1100の初期型らしい流線型デザインをいささか損なっています。
逆に側面のラインは丸みが有りすぎでステップの部分をやや圧迫しています。

508c ヌオーババリッラ 06

こうやって細かいところに点数をつけていくとブルムはやや辛い部分もありますが、他には無い車種をモデル化している事もあって個人的には好きなブランドの一つです。
というか、フィアット、シムカを中心としてうちでは一大勢力にいつの間にかなってます。(w
ブルムの古いモデルはグラス部分の透明度が今一つですが、分解して軽くコンパウンド掛けると格段に綺麗になりますね。

508c ヌオーババリッラ 07

バリッラの成功に続き1936年にはダンテ・ジアコーザ設計による更に小型のトランスポータ「フィアット 500」が登場しフィアットは更なる成功を収めますが、イタリアは第二次世界大戦に向けて着々と歩みを進めていおり、その時代をフィアットがどう対応したのかを次回は書かせていただきたいと思います。

新旧バリッラ

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【2007/04/25 01:00】 | ミニカー イタリア車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
フィアット 変革期 (1819-1928)

イタリア・トルコ戦争、第一次世界大戦を通じて会社の規模を飛躍的に大きくしたフィアットでしたが戦争後は広がる社会不安を背景にイタリアでも社会主義を信奉する勢力が台頭してきました。
そしてそれはやがてファッシズムの拡大に繋がって行くのですが、今回はこの辺の話を中心に進めたいと思います。

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第一次大戦終結後、イタリアでは社会主義が勢力を急速に拡大して行きました。
その理由としては第一に戦費の大半を外債でまかなったため、戦後莫大な債務を負って国が疲弊してしまい物資も不足、激しいインフレーションにみまわれた事、次に65万人もの戦死者を出したのに領土的な拡張がされなかった事(イギリス・フランスとの密約で保証されていた「ダルマティア」の領有と戦前オーストリア領で、イタリア人が多く居住する港「フィウーメ」の併合)、そして1917年のロシア革命の成功が有ります。
トリノでも戦後の総選挙では社会党・人民党などの社会主義勢力が全体の票数の54パーセントを獲得したそうです。

パッケージ

当然これはフィアット内にも飛び火しました。
これがただの賃金闘争ならばアニェッリも応じる準備が有りましたが、ロシア革命をイタリアで再現させる事だけは避けねばなりませんでした。
事実、対応を一歩間違えばそういった事態に発展する可能性が当時のイタリアには有りました。
最初はストライキなど穏健な手段による闘争でしたが、やがてそれは暴力による工場封鎖など次第に激しさを増していきました。
一時は当時の首相が鎮圧に軍の投入を考えた程ですが、それは内戦に通じる可能性もあり避けなければならない事態でした。

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フィアットでも1919年から2年間交渉を重ねて様々な提案などを行った結果、ようやく自主的な解散に労働者側が応じる事となりました。
(これには1919~1921年のポーランド・ソビエト戦争でソビエトが敗北した事も大きな影響を与えています。)
この騒ぎによりアニェッリは一時取締役を辞任していますが、後日再任されました。

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戦争で工場等の被害が無かったフィアットは戦後ヨーロッパの他のメーカーよりいち早く新型車「501」「505」「510」という3つの新型車を1919年にデビューさせます。
特に1460cc4気筒の小型車「501」は1926年までの7年間に45,000台が生産されるというフィアットの大衆車として初の成功した車となりました。
1925年にはその後継で更に小さい990cc4気筒を搭載した「509」が「501」より1万リラ程度安い1万6千~2万5千リラという低価格で登場します。
「509」は低価格なモデルながらOHCエンジン、前輪ブレーキ、単板クラッチ、低圧タイヤなど新技術を搭載した大衆車としてエポックを画す存在でした。
「509」は当然ながら大ヒットモデルとなり1925年から29年までに9万台も生産されました。
同時期イギリスでは「オースティン・セブン」、フランスでは「シトロエン5CV」がデビューしており、ヨーロッパでもようやく本格的な大衆車の時代が幕開けしたのです。

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また、争議がひと段落した1921年にはリンゴットの大工場が本格的な操業を開始しました。
フォード式大量生産に範をとった当時世界最大級のこの工場は、生産ラインが1階から始まり、螺旋状のスロープを使い上の階に進みながら、5階の最終ラインまで効率よく組み立てられて行くというユニークなものでした。
また、争議への反省から労働者自身に改善策を考えさせそれに報奨を出す、訓練学校の設立、会社主導によるリクリエーションの導入など労働者と会社の関わり合いをより密にする方針もとられました。
しかし、「501」「509」などの大ヒットモデルが登場した事によりリンゴット工場の生産能力だけでは足りなくなったフィアットは1925年にはSPAを、1931年にはアンサンドルと次々に他の自動車会社を傘下においてその生産能力の増強に努めなければなりませんでした。

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一方、戦争で中断したレース活動は1919年より再開されました。この年のマシンは戦前に製作した4.5リッターフォーミュラーの「S.57/14B」を改修した物でスタートし、この年のタルガ・フローリオではメルセデス、アルファ・ロメオとの接戦を征しました。
1920年からの3リッターフォーミュラー用マシン「ティーポ802」は開発が酷く遅れ翌年の最終戦にしか参加できませんでしたが、このマシンの設計は後のアルファ・ロメオやサンビームなどに大きな影響を与えています。
1922年はフォーミューラーは2リッターとなりそれに合わせて投入された「ティーポ804」は2回だけ開催されたグランプリの双方を優勝で飾りました。
翌年投入された「ティーポ805」は1度だけしか勝利を上がる事が出来ませんでしたが、これはスーパーチャージャーを装備したマシンのグランプリでの初勝利であり、この後の過給器全盛自体の幕開けでした。
その後、フィアットはレース活動を休止、1.5リッターフォーミュラーとなった1927年のミラノ・グランプリに「ティーポ806」を1台だけ参加させ優勝を飾ったのを最後にレース活動を終了したのでした。

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全くの余談ですが1923年にジョバンニ・アニェッリの息子「エドアルド・アニェッリ」がサッカーチーム「ユベントス」の会長に就任しています。
エドアルドは弱小チームだったユベントスにアニェッリ家の資産を潤沢に投入し外国から破格の報酬で選手やコーチを招き入れイタリア統一選手権に優勝出来るほどのチームに育て上げて行きます。
また、当時のサッカーはイタリアでは貴族の愉しみでしたがエドアルドは普及し始めたラジオでのサッカー中継もプロモートしイタリアでの現在のサッカー人気をつくる切欠の一つを造りました。
以来ユベントスの会長はフィアット関係の人間が務めています。
更にちなみに、当時はイタリアでもサッカーをイギリス式にフットボールを呼んでいましたが、コレをイタリア式のカルチョと改めさせたのはムッソリーニです。

FIAT521 09

戦後イタリアに吹き荒れた社会主義の嵐ですが、これへの対抗勢力として伸びてきたのが「ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ」率いる「戦闘者ファッショ(後の国家ファシスタ党)」です。
ムッソリーニ自身も戦前は社会主義者でしたが、社会主義ではイタリアを列強に伍する国には出来ない、民族的な団結が必要だと考え全体主義に転向しました。
1919年の結成当初は弱小勢力に過ぎなかった「戦闘者ファッショ」ですが、イタリアの資本家たちは社会主義者に対抗する勢力として資金面などで援助を行いこれを育てましたが、その暴力的な側面は嫌悪していました。

FIAT525 01

「戦闘者ファッショ」は社会・共産党の勢力と武力をともなった衝突を繰り返しながら地方の地主や農業資本、軍部などの支持も集め勢力を急速に拡大、1922年10月には約4万人のファシスト武装隊によるローマ進軍を行います。
時の首相ファクタはその自体に対して国王に戒厳令の布告を求めましたが、国王はそれを拒否しムッソリーニに組閣を命じファシスト政権が誕生する事となります。
しかし、根っからの自由経済主義者であったアニェッリは他の経営者とは違いファシスト勢力とは当初一歩距離を置き、ファシズムの正常化キャンペーンなどを展開します。

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ムッソリーニは積極的に外資導入、保護関税の復活などを行いイタリアの工業は急速に発展していきます。
また、大規模な土木干拓事業などにより失業者も少なくなり農業の自給率も上げ、社会不安も急速に解消されていきました。
そして、1924年にはユーゴスラヴィアと条約を結んで宿願のフィウーメを併合し、1926年にはアルバニアを事実上の保護国としました。

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さて、今回写真を掲載しているモデルはこの時代のフィアット「521」と「525N」です。
「521」は1927年にデビューした「520」(同じ型番で1921年に製作されたV型12気筒6805ccの超高級車「520 スーパーフィアット」とはなんの関係もありません)の上級車です。
「520」は木骨ボディから全金属ボディへの転換期の、そして右ハンドルから左ハンドルへの転換期への製品で、フィアットの市販車として初めてコイル・イグニッションも装備しています。
「521」は1年後の1928年に登場した拡大版で、エンジンは直列6気筒2516cc、50HP。ホイールベースは3140mmとミドルレンジでは最大長のボディを持ちます。
足回りにはフィアットとして初めて油圧式のショック・アブソーバーを装備していますが、それ以外は目立った特徴の無い車ですが、当時の流行の装備は一通り満遍なく装備した車でもありました。

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「525」は同じ「520」系列ではありますが、エンジンは更に3739cc、68.5HPにまで拡大されホイールベースは3400mmという長大もので6~7シーターのベルリーナないしはリムジンボディを持つ高級車でした。
足回りは「521」と同じく油圧式のショック・アブソーバーと油圧式のブレーキも装備しています。
当時のローマ法王ピウス11世のため、フィアットはこのクルマをベースに製作した特装車をバチカンに献上し、それは永らく法王専用車として使用されたそうです。
モデルはこの「525」のホイールベース3260mmに切りつめた「525N」のカブリオレです。
「525」には他にホイールベースを3000mmに切りつめエンジンを88.5mmまでチェーンし、2シーターとしたスポーツモデル「525SS」というタイプもあり、ヴィンテージ期後期の「ファースト・ツアラー」として知られています。

FIAT525 06 FIAT525 07

モデルのメーカーはどちらもフランスのソリド製で、スケールは1/43です。
基本的な形状は悪くはないですが、上記の様にこの2車の大きな違いはホイールベースですが、どちらも同じです。_| ̄|○
その為、521はこの車種としては明らかに大き過ぎます。
まぁ価格も安いですし、クラシックカーは数が出ないと言いますから仕方ないかもしれませんが、ちょっとあんまりな気もします。

FIAT525 08

それと、元々この車種は黒い法王専用車として人形付きでリリースされたらしいので、フロントのマスコットがその名残りで付いています。
ホイールの形状が量産車と違うのもその為かも知れません。
ちなみに、ソリドの「525N」にはその他バリエーションとしては濃い青色のバージョンも有るそうです。
塗装などは厚過ぎず、この価格帯の商品としてはいい塩梅ではないでしょうか。

FIAT525 10

ムッソリーニ政権になってからの工業振興政策もあり、フィアットは順調に成長を続けていましたが1920年代の末には再び2つの危機がフィアットを襲います。
それはフォードのイタリア進出と世界恐慌です。

FIAT521&525

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【2007/04/20 00:31】 | Leonardo250 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
昔の日記 その4

さて、フィアット物語の途中ではありますがこちらも暫し掲載してないのでレオナルド250の導入時期の日記、今回は2002年11月中旬分5編です。

レオライト

レオで初めてのマスツーリング、その準備と準備万端で行ったはずのツーリングの帰り道でトラブル発生!?
上の各タイトルをクリックするか、コチラからどうぞ。

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【2007/04/17 13:35】 | Leonardo250 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
フィアット 創生期 (1899-1919)

メフィストフェレス 01

さて、今回から何回か京商・サークルK・サンクスの「フィアット・ランチャ・ミニカーコレクション」に手持ちのモデルを加えてフィアットの歴史を簡単に辿って行きたいと思います。
それにしても、現在京商・サークルK・サンクスのモデルの情報が欲しくって検索掛けて来られる方が多いのにそれを空かして全然関係ないモデルの話をしだすとは我ながらなんちゅうかアレですね、すみません。

メフィストフェレス 02

FIATとはファッブリッカ・イタリアーナ・アウトモビーリ・トリノ(Fabbrica Italiana Automobili Torino トリノの自動車製造所)の略です。
その名の通りトリノで今から100年以上も前、19世紀末の1899年7月に設立されました。
設立時はブリケラージョ伯爵を中心に9人の発起人が集まり80万リラの資本金を元手にスタートしました。
その発起人の一人にジョバンニ・アニエッリが居ました。

メフィストフェレス 03

アニエッリは他の8人が貴族や弁護士など当時の上流社会のきらびやかな人々だったのに比べると地方の農場経営者に過ぎず、社会的地位、資本力ともに発起人の中では劣る存在でした。
しかし、他の8人が当時上流階級の趣味として流行り出していた自動車レースに自身の車を出走させたいと思い集まったのに対して、当時ヨーロッパの中では著しく工業化が遅れていたイタリアにあって、アニエッリは本格的な産業としての自動車メーカーを立ち上げしたいと思っていたのが違っていたのです。

アニエッリは先頭に立って計画を推し進め、その年早くも同社最初のモデル「3・1/2hp」を8台(もしくは10台)製作しました。
翌年にはその発展モデル「6hp」とそのレースバージョン「6hpコルサ」も登場、6hpコルサは「トリノ~アスティ都市間レース」や「ビチェンツァ~バッサーノ~トレビーゾ~パドゥア間レース」で優勝と華々しいデビューを飾りました。
ちなみに、当時のフィアットのステアリングを主に握っていたのは名ドライバー「フェリーチェ・ナッツァーロ」と後にランチアを設立する「ビンチェツオ・ランチア」でした。
フィアットのレーシングマシーンはその後も様々な車種が開発されてタルガ・フローリオやコッパ・イタリアなどで目覚ましい勝利をあげて行きフィアットの名声獲得に一役買っていきます。

メフィストフェレス 04

1902年にはアニエッリは代表権を持つ取締りに就任し、翌1903年には初めての船舶用エンジンを開発、アメリカに輸出も開始、この年発売され24/32HPはフィアットの市販モデルとして初めてオールスティール・シャーシを採用していました。
1904年にはトラックの出荷を開始するなどフィアットはその事業領域を順調に拡大していき、12月には株式市場への上場を果たします。
その後も順調に業績を伸ばしたフィアットの株は新しい産業への期待もあって、1906年には額面25リラのところ時価500リラで売買される程になりました。
そして、その1906年にアニエッリは一度会社を解散、資本金900万リラで再出発すると発表します。
その再編されたフィアットの筆頭株主にはアニエッリが収まり、2人の仲間と共に60%以上の株を抑えてしまいます。
つまりアニエッリは違法すれすれの手段でしたがフィアットをついに自分のものとしたのです。

メフィストフェレス 05

しかし、順調だったのはそこまでで、翌年には自動車関連の株は大暴落を起こし、一時1,800リラを超えていた株は17リラまで下がってしまい、粉飾決算を行っていた事なども暴かれてしまいフィアットは第一の危機をむかえます。
倒産は確実かと思われましたが、生産の合理化や外国での販路の確保などでなんとか急場をしのぐ事が出来ました。
翌年、粉飾決算や不当な配当に関してアニエッリらは背信行為で訴えられ役員総辞職に追い込まれますが、1909年には正式に復帰、裁判も当時の法律では株の操作という新しい犯罪を裁ききれず1912年に無罪判決となりました。

メフィストフェレス 06

一方レースの方は会社が危機的状況の1907年に黄金期を迎え、フェリーチェ・ナッツァーロが「タルガ・フローリオ」「カイゼル・プライス」「ACFグランプリ」というヨーロッパの3大レースを制覇しました。
余談ですが、この年イギリスのブルックリンズ・サーキットの開場式当日に行われた前座レースで日本から留学していた大倉喜七郎男爵がフィアットから購入した車で見事2位に入賞しています。

メフィストフェレス 07

さて、今回写真を掲載しているマシンはこの1907年に「ACFグランプリ」を制した「F=2 フィアット」を原型とするマシンです。
「F=2 フィアット」は1905年に設計された4気筒16286ccの「100HP」を130HP/1200rpmまでチューンしたマシンでした。
フィアットはイギリスの「S.F.エッジ」からの注文によりこれを更に18146ccにボアアップした175HP/1200rpmの「S.B.4コルサ」を制作します。
S.B.4は同氏のイギリス製レーサー「ネイピア」(6気筒、200HP)と1908年6月に対決しこれを破ります。
S.B.4はその後も英国にとどまりますが、第1次対戦後の1922年についにシリンダーが吹き飛んでしまいます。

メフィストフェレス 08

しかし、この車の生涯はそこで終わりませんでした。
翌年壊れたマシンを引き取った「サ-・アーネスト・エルドリッチ」により完全にリビルドされサーキットに舞い戻って来たのです。
壊れたエンジンの代わりは英国政府から買い取ったフィアットの航空用エンジン「A12Bis」(6気筒、21706cc、320HP/1800rpm)が搭載されホイールベースを延長、ボディもボートテールタイプに、足回りもフリクション・ダンパーが追加されるなどモダンな設計に一新されたそれは、他から魂(エンジン)を買ったモンスターとして誰と言うことなく「メフィストフェレス」と呼ばれる様になりました。

メフィストフェレス 09

サー・エルドリッチはメフィストフェレスで1924年に陸上速度記録に挑戦、236.340km/hという速度を記録しましたが、リバース・ギアを持っていないという理由で公認されず、後日ギア・ボックスを改造して再度挑戦し234.980km/hという世界記録を樹立しました。
その後1926年までサー・エルドリッチはこの車でレースに出場していましたが、その後は行方しれずとなってしまいます。
が、1947年に「C.E.ネイラー」がその残骸を発見、長い時間をかけて見事に修復し1961年にはイタリアに里帰りしたそうです。

メフィストフェレス 10

モデルはイタリアのブルム製でスケールは1/43です。
このモデルカーはブルム初期の傑作と評されているそうで、確かにシンプルなパーツ構成ながらも細かな処まで表現されていますしプロポーションも雰囲気良く捉えています。
それでいてブルム製らしいどこか暖かみのあるユルさも程よく残っています。
ブルムですから価格も安く手に入れられ満足度の高い買い物でした。

メフィストフェレス 11

話をフィアット本体に戻しますと1908年には初のタクシー専用車「タイプ1・タクシー」を開発フィアット初のモノブロック構造のエンジンをもつこの車はイタリアのみならずニューヨーク、パリ、ロンドンなどでも使用されました。
また、同じ年航空機用エンジンの製造も開始しています。
1910年にはラインアップを一新しタイプ1~6の6車種を一気に登場させています。

メフィストフェレス 12

そして1914年、第1次世界大戦が勃発しますがアニエッリはそれを好機として捕らえ積極的に軍用自動車や兵器を方々に売り込みそこで得た利益を自動車以外の分野につぎこみ会社を拡張して行きます。
その結果大戦はイタリアの企業番付で30位にしかすぎなかったフィアットは3位にまで大躍進したのです。
そして、戦争が終了して1年後の1919年にはオートメーション設備の整い広さ15万2千?、地上5階建ての大工場「リンゴット」を完成。(本格的な稼働は1921年から)
フィアットの前途は洋々に思えましたが、イタリアでも社会主義運動が急速な盛り上がりをみせ資本主義体制の転覆が声高に叫ばれるようになって行きます。

メフィストフェレス 13

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【2007/04/14 11:53】 | ミニカー イタリア車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
フィアット・ランチャミニカーコレクション 配列情報

京商・サークルK・サンクスの「フィアット・ランチャ・ミニカーコレクション」が昨日発売になりましたね。

フィアット・ランチャコレクション

今回は初めてトキメキモールで予約して購入してみました。しかも2箱!
いや、先月の予定だと今月は滅茶苦茶忙しい筈だったので安全策をと思いまして・・・ヾ(;´▽`
実際はまぁそこそこ忙しい程度だったので、1箱購入で止めといて、もう少し欲しいカラバリを抜きに行けば良かったなぁとか思わないでもないですが、逆の選択していたら多分忙しくなっていたんだろうなぁ(w

無題ドキュメント

パッケージ

何はともあれ、折角ですから購入分の配列を公開しておきます。
これからバラ買いする方の参考に幾らかでもなれば良いのですが。

一箱目
ラリー037-赤 500F-橙 ストラトス-ピレリ デルタ-黄
500F-水 ディーノ-緑 ディーノ-赤 クーペ-紺
ストラトス-アリタリア 131-フィアット 124スパイダー-赤 デルタ-赤
124スパイダー-緑 パンダ-白 フルビア-紺 クーペ-黄
131-アリタリア フルビア-銀 パンダ-水 ラリー037-白


二箱目
131-アリタリア ラリー037-白 ディーノ-緑 ストラトス-ピレリ
500F-橙 デルタ-赤 クーペ-赤 124スパイダー-橙
デルタ-白 フルビア-赤 124スパイダー-赤 パンダ-赤
ディーノ-黄 ストラトス-アリタリア フルビア-銀 クーペ-紺
500F-赤 ラリー037-赤 パンダ-白 131-フィアット

表の下側が実際のBOXでは手前側になります。
京商のこのシリーズはあちらコチラのBlogで取り上げてますので、ここで急いで紹介する必要もないので今回は手持ちのフィアットミニカーも混ぜてフィアットの歴史を簡単に辿って行きたいと思います。
まだまだミニカー初心者なので100年以上に亘るフィアットの歴史を紹介するのは手持ちのミニカーでは全然不足しているんですが、まぁ何か切っ掛けが無いと出来ないですし、良い機会なのでやってしまうおうかと。
と、云う訳で現在少し準備中ですので少々お待ちくださいマセマセ。(o・・o)/~
※その前に1件別のやつを紹介するかもしれませんが。

フィアット・ランチャコレクション02

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【2007/04/11 03:07】 | ミニカー イタリア車 | トラックバック(1) | コメント(5) | page top↑
東京モーターサイクルショー2007 etc

さて、東京モーターサイクルショー2007関連の記事も今回で最終回です。
今回は、その他会場で目についたバイクや物を紹介していきます。

9 1/2 01

まずは、こちら「モト・モリーニ」の「NOVE E MEZZO(9 1/2)」です。
昨年紹介しました同社の「CORSARO 1200」と同じエンジンですが、よりトルクフルな方向にセッティングされているとの事です 。
名前の「9 1/2」というのはかって同社がリリースした名車「3 1/2」に因んだもので、最初の発表時は950ccだったんですが、製品版は1200ccになってしまいました。

9 1/2 02 9 1/2 03
9 1/2 039 1/2 05


「CORSARO 1200」からのその他の変更点はアップハンドルとなり、よりロングツーリングに向いたポジションがとれる様になり、リアサスも左方持ちに変更されています。
ホイールもキャストからスポークタイプになり全体的にトラディショナルな方向に振られています。
ちなみにこの「コルサ・コルタ」と呼ばれるエンジンを開発したのは「モリーニ・フランコ・モトーリ氏」で前々回エントリーのベネリ3気筒を設計したのもこの方です。
仕上げは相変わらず綺麗で価格なりの満足感の得られる一台だと思います。

エンフィールド 01エンフィールド 02
エンフィールド 03エンフィールド 03

こちらも以前紹介した事があります「ロイヤル・エンフィールド」ですが、「ロイヤル・エンフィールド・ジャパン」さんが東京モーターサイクルショーに初出展されていました。
日本で製作され、最近クラブマンレースなどに参加されているロイヤル・エンフィールドレーサーも展示されなかなかの人気でしたよ。
もっと人気が出て、これからも息長く続けて欲しいものです。

エンフィールド 05

それと、見ていて気が付いたのがモタードの流行も一息ついたのかツアラー志向のバイクの新開発が目立ちましたね。
まずこちらはモトグッツィの「ノルジェ 1200GT」モトグッツィとしては10年ぶりのツアラーモデルで、「ブレヴァ1100」の基本コンポを使用しているそうです。
モトグッツィは今後デュアルパーパスモデルの「Stelvio」も控えていますし、ここも新しい展開が見えてきましたね。

ノルジェ

お次はトライアンフで13年ぶりのフルモデルチェンジを受けた「タイガー」です。
以前の方が個性的なマスクでしたが、これはこれで長距離を走ったあとも疲労感の少なさそうなデザインですね。
初代仮面ライダー世代としては「新・サイクロン」みたいとかちょっとだけ思ってしまいましたが。(w

タイガー 01タイガー 02

トライアンフはその他にも外装アクセサリーのシリーズ「sixty8」のアピールにも力をいれていました。
タンクのカバーなどもサイドのエンブレムを止めているネジと共締めするだけなので、簡単に雰囲気を変更できるのが面白いですね。

sixty8 01 sixty8 02
sixty8 03

カワサキもアルミモノコックフレームを使用した「1400GTR」とER-6シリーズの兄弟車である「ヴェルシス」を展示していました。

1400GTR
ヴェルシス 01ヴェルシス 02

「ヴェルシス」は前作である「KLE-500」よりもツーリング志向が強くなっている様ですね。
太くてフカフカなシートなど少なくてもオフロードを攻めるマシンではありません。
それにしてもカワサキのバイクはデザインが個性的になってきましたね。機種によってそれぞれ好き嫌いは有るでしょうが、良い傾向だと思います。^^

Kawasaki

ホンダはひっそりという感じで世界初のバイク用量産エアバック搭載(6月29日発売)のゴールドウィングを展示していました。
まぁ、価格も価格だしそんなに売れないでしょうが、もっとアピールして欲しかったですね。

GWAB 01
GWAB 02GWAB 03

カスタムも色々と展示されていましたが、一番印象に残ったのがこちら!

スーパーチャージャー01スーパーチャージャー02

スズキのハヤブサにスーパーチャージャーを搭載して、すでに後軸出力で230psをオーバーで、250psオーバーを目指すんですって。
クレイジーな世界ですねぇ、こういうのは突き詰めちゃったもん勝ちですので、もっとやっちゃってください。(w

エアバック

さて、用品ですがまずは「RSタイチ」さんがレーシングスーツ用のエアバックシステムを展示されていました。

エアバック 02 エアバック 03
これで、貴方もこんな風に飛んじゃってももう安心(w

それと、何故だかヘルメットも各社から多数展示されていましたね。

マルチテック01マルチテック02
シンクロテックの進化版「マルチテック」より空力を意識した形状になっています。

シューベルト01マルチテック02
BMWの純正も造っているシューベルト

ダルマメット
後ろのドライバーを笑かしてどうすんだちゅうの?ダルマメット

mono01CHER01
赤いメット2種。この差はナントモはや

OGK01
OGKは更に後頭部を伸してきました

red01red02
赤いメットその2 こちらも好対照

こんな処で今年のモーターサイクルショーレポートは終了です。
また来年も行きますよ!

SACHS

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【2007/04/09 04:30】 | Moto | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
東京モーターサイクルショー2007 ビモータ編

東京モーターサイクルショーの第三弾は「bimota(ビモータ)」でございます。

TESI3D 01

2003年に新生したビモータですが、今回は昨年末に発表されたハブステアの新機種「TESI3D」を持ち込み公開していました。

さて、そのTESI 3Dですがパッと見て今までのTESIシリーズと大きく違うのは前後のスィングアームが今までの太いアルミ材の物からクロモリパイプをトラス構造に組んだものに変更されている事ですね。
基本的な構造その物はエンジンを抱え込んだ様なオメガフレームを中心としたもので変更はありません。
細いパイプだけで前後のホイールを支えているので、今までより見た目の迫力には欠けますが、その軽快さも今回のデザイン上のポイントでしょう。
トラス構造のスィングアーム自体はDB5&6のリアアームにも採用されていたので強度上の問題などはないのでしょう。

TESI3D 02 TESI3D 03

全体的なフォルムは機構に対してやや平凡すぎた「TESI 1D」、異次元のデザインだった「Vyrus984 C3-2V」&「Tesi 2D」に対してデザインと機能のバランスが程よくとれていて個人的には好感を持ちました。
特にTESIが本来備えているスリムな構成が外装にも活かされているのが良いと思いますし、見る角度によってバランスが良かったり、なんじゃこりゃ?という風に見えたりするのもTESIの異質さを端的に現しているのではないかと思います。

TESI3D 04 TESI3D 05

フロントのショックユニットはハイドリリック・サスペンションをボディ最下部に搭載となっています。(一枚目の写真を参照)
アンダーカウルの付け難い車体構成で、デリケートな部品がこんな所にレイアウトされているのはちょっと疑問の残るところではあります。
エンジンはDucatiの1100DSで空冷L型2気筒1078cc、チューニングの程は不明ですが車重が168kgしかないのでかなり良好な動力特性を発揮するでしょう。
カウル類はオールペイントされていてそれらしい模様は残されていませんが(w カーボン製です。

TESI3D 06

お値段は¥5,299,000-、まぁここまで来るとある意味納得できるプライスです。
と、いうよりこれは信者方々のお布施ですからね、妥当なところではないでしょうか。(w
それよりもビモータファンにとって問題なのは世界限定で29台という生産台数ではないでしょうか。

DB5C 01 DB5C 02
DB5C 03 DB5C 04

ビモータは他にもDB5を「MOTO CORSE」がチューニングした「DB5C 1080」(上段の写真)DB5のネイキッドバージョン「DB6 DELIRIO」(下段の写真)などが展示されていましたのでそちらの写真もどうぞ。

DB6 01 DB6 02
DB6 03DB6 04

ビモータの今後としましては「TESI 3D」がこのまま限定で終わってしまうのか、これを活かした量産型が出てくるのかが気になりますね。

TESI3D 07

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【2007/04/07 00:07】 | Moto | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
東京モーターサイクルショー2007 ベネリ編

東京モーターサイクルショー2007の第二弾はイタリアの「Benelli (ベネリ)」についてです。

benelli01

ベネリは1920年代からオートバイの製作・販売を行っているイタリアでも最古参のバイクメーカーの一つで、WGPタイトルも確か2度ほど獲得している筈です。
しかし、60年代頃から台頭してきた日本のバイクメーカーに押されて活動はやや縮小していました。
1990年代後半からは地元の企業グループ・メルローニ傘下となり、それ以降「トルネード」「TNT」など魅力的なモデルを輩出してきました。
日本では収納式ルーフ付きスクーターの「アディバ」(販売は独立した別会社が担当)以外は目立ったセールス活動はなく、今ひとつマイナーな存在でしたが、一昨年新たに中国「銭江」の資本が入った関係だと思いますが、今年はわりと大きなブースをモーターサイクルショーで構えていました。
と、言う事で今回は魅惑的なベネリモーターサイクルの世界をどうぞ。

まずはこちら、代表的なモデルのトルネードシリーズから「Tre1130」です。
従来898ccだったエンジンは、TNTと同じ1130ccに改められています。
ベネリの各モデルは、あまり他社のバイクには似ていない独創的な美しいデザインが特徴ですが、このトルネードも薄い縦型ヘッドライトが特徴的なマスクをしています。

tre01 tre02

が、このモデルの一番の特徴は実はシート下に装備された独特のクーリングシステムにあります。
トルネードのエンジンはスリムな直列3気筒ですが、3気筒のメリットを行かす為にラジエーターがシート下に配置され、コレにより車体のスリム化、重量と熱の分散化などを図っています。
そのため、後ろから見ますとシート下に2基の強制空冷ファンが見えリアスタイルのアクセントとなっています。

tre03

次はトルネードのネイキッドモデルである「TNT1130」、写真はそのカフェ・レーサータイプです。
ネイキッドモデルといっても、基本フレームとエンジン、ホイールは共用ですが、その他の部分は大幅に手が入れられています。
特にトルネードの特徴であったクーリングシステムはTNTではシート高を下げるために廃止されています。
そして、ボディ側面両側に分けてラジエータを配置しそれぞれにクーリングファンが付くという、これまた独特なレイアウトとなっています。

tnt01 tnt02

マスクは最近流行の昆虫系ですが、このTNTがそのオリジナルと云う事ができるでしょう。
このシリーズのフレームはフロントセクションがクロモリのパイプ、リアがアルミ鍛造と異種素材となっており、これをボルトと接着剤の併用により一つのフレームに結合しています。
あれ、その技術はどこかでと思った人は鋭いです。と、いうのもベネリの主任設計は元ビモータのマルコーニ氏でビモータのモデルでも一部車種のフレームにこの技術が取り入れられていました。
改めて考えると、タンブリーニ(アグスタ)、マルティニ(ジレラ)、マルコーニ(ベネリ)の三人が在籍したビモータって凄い会社だったんだなぁと思います。

tnt03

次はビモータのモータード「Tre-K1130」です。
フロントマスクとエンジンは「TNT」からの移行ですが、それ以外はほぼ新設計となっています。
この機種からはクーリングシステムが通常のタイプとなっているのは、新資本の意向でコスト削減の為かもしれません。
しかし、さすがベネリと思う部分はモタードと言いつつも他のメーカーに右に習えではなく、むしろツアラーを志向していると思われます。
ウィンカーが流行のミラー一体型になっていますが、ハンドルマウントのスッキリしたデザインにまとまっており使い勝手がよさそうなのも○ですね。

tnr01 tnr02

この後の2台は今年9月以降に正式発表される機種の参考出品です。
わざわざこんな機種までヨーロッパから移送してくるのが、今後ベネリがアジア市場も重視して行くという気概の現れの様な気がしますね。

まずは「2ue756(またはDue756と表記)」です。
TNTの下位機種にあたりますが、エンジンは1気筒削った2気筒となり、吸気系もおそらくインジェクションではなくキャブレターとシンプルで軽量なマシンを目指している様です。
またもや独創的なデザインですが、今までと方向性の変化がみられます。
このデザインは若干25歳のスペイン人若手デザイナー「Carles Solsona」氏の作品との事で、昨年のケルンショーなどではデザイン関連の賞を獲得しています。
ちなみに、ライトユニットはトルネードの物を流用しています。

2de01 2de0

もう一つのプロトタイプが「BX 449」で、見ての通りこちらは本格的なオフロードタイプとなっています。
エンジンはこちらは単気筒、エッジの利いたスリムなデザインがナイフを連想させます。
前の「2ue」もそうですが、今回のモデルからフレームのデザインなど幾らか生産性の向上を意識した造りになっている気がします。
しかし、バルブなどにはチタン製、フレームの一部にカーボンが奢られているなど単なるコストダウンではなく性能やデザイン性を維持したまま、よりコストパフォーマンスをアップするように動いている様に伺えます。

xc01 xc02

他にもベネリは現在2400ccV6エンジン、250ccのオフロード、540cc単気筒のシティ&エンデューロバイク(アプリリア・ヤマハと共同開発)など矢継ぎ早に新車開発が進んでいると聞きます。
新生なったベネリがどの様な方向に進んで行くか、今後大注目のメーカーだと思います。

benelli

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【2007/04/04 23:35】 | Moto | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
スリーホイーラーの時代再び?

今回は東京モーターサイクルショー関連のエントリーは一時中止しまして、三輪車繋がりで日本での発売が正式に決定した「Carver One(カバー・ワン)」のご紹介したいと思います。
この「カバー・ワン」をベースにしたカスタムカー「フィアロP67bエタニティ」が前回の東京モーターショーで展示されていましたので、そちらは見られた方も多いと思います。

CarverOne 01

前回エントリーの「ピアジオMP3」はバイク側からの3輪へのアプローチでしたが、この「カバー・ワン」はどちらかというと自動車側からのアプローチです。

エンジンはダイハツの軽自動車用ターボ・エンジンを採用し、2名タンデム乗車のスリムで643kgという軽量な車体に搭載しています。
大きな特徴は見ての通りフルカバードの大きなボディが最大左右45度までスイングし、バンクしながらコーナリングする事です。
ちなみに、メーカーのコチラのページで動画が5編公開されていますので、どんな感じで走るのかを見たい方はどうぞ。

CarverOne 02

このバンクとステアリングの制御が非常に凝っておりまして、低速時はボディは固定、フロントホイールのステアのみで曲がります。
通常の速度域になりますと、ボディがバンクを始めます。
そして、高速域になると今度はフロントホイールは固定されて、ボディのバンクとリアホイールがステアされ曲がる事になります。
つまりボディのバンク角制御プラス、3輪操舵のシステムという事の様です。
ハンドルは自動車用の円形タイプを装備しており、ステアリングの操舵角や車速、加速度から車体の傾斜角度を計算し、油圧システムによって自動で傾きますので、その点は操縦者が自らの重心移動によって傾けるバイクとは決定的に違います。

CoverOne 04

主要な諸元は以下の通りです。

  • 全長×全幅×全高:3400mm×1300mm×1400mm
  • ホイールベース: 2700mm
  • 乗車定員:2名
  • 最大チルト角度:45度
  • 最大チルト速度:85度/秒
  • エンジン:直4DOHC16バルブターボ・インタークーラー付き659cc
  • 最高出力:50kW(68 bhp)/6000rpm
  • 最大トルク:100Nm/3200rpm
  • トランスミッション:5MT
  • 0-100km/h:8.2秒
  • 最高速度:185 km/h

CarverOne 02

メーカーではファンカーとコミュニケーターを両立させたファンコミュニケーターと言っているそうですが、どう考えてもファンカーではないかと。^^;;
第一、最小旋回半径が9.5mってのはコミュニケーターとしては如何なものかと。
開発はオランダの「カバーエンジニア」、販売は「カバー・ヨーロッパ」ですが、製造はなんとWRCのスバルチーム運営していた「プロ・ドライブ」来年からはF1にも参戦予定)です。
日本での販売は輸入車販売の「グースネック篠田」で8月頃からの納車だそうです。

CoverOne 06

さてさて、気になるお値段ですが・・・798万円(エアコンなしの場合)からだそうです。_| ̄|○
日本での受注割り当ては年間50台だそうですが、他人事ながら売れるのか心配になってしまいます。
とあいえ既に代理店には注文が入ったらしいので、夏以降日本の公道でこのスリーホイーラーの姿が見れるかも!
本当に見かけたら、思わず追いかけちゃうかもしれません。(w

CoverOne 07

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【2007/04/03 00:04】 | Auto | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
東京モーターサイクルショー2007 ピアジオ編

さてさて、先週の金曜日に東京モーターサイクルショーに行って来ましたので今回から何回かそこで見てきた物を紹介させていただきます。
まず今回は成川商会さんのブースです。

mp3 01

バイクのショーなのに、いきなり前に2輪がある写真ですがこれが、今回のショーでおそらく一番話題のピアジオ「MP3」です。
ピアジオといえばベスパが超有名ですが、そのピアジオが総力を上げて開発したのが、この3輪スクーター「MP3 250RL」です。
以前、20年前のベスパ3輪スクーターの記事をエントリーした事が有りますけど、それからズ~ット研究していたんでしょうか?(イヤイヤそれはない)
今回万全の完成度を持って、満を持しての登場です。

MP3 02

3輪スクーターというと日本ではホンダの「ジャイロX」など後2輪の実用車が売れていますが、このMP3は前輪側に特殊なサスペンションを導入してバイクの爽快感と自動車の安定性を両立させようとしたスポーティーな味付けも追求した意欲作です。

MP3 03 MP3 04

ヨーロッパでは昨年後半に発売されて初回出荷の5,000台はすぐに完売したそうです。
日本ではこの4月から\885,000-で発売されます。
日本の代理店である成川商会さんも社運をかけているとか、いないとか。

MP3 05 MP3 06

スタイル的にはちょっとズングリとした印象を受けますが、車体の幅自体は今までのビックスクーターと変わりませんから取り回しなどは従来の物と同等だと思います。
小型で安定性が優れた車体、そして250cc以上のエンジンの出力ですと、日常的な移動、そして運搬の足として十分でありシティコミュニケーターとして新たな可能性が有ると思います。
もしも、こんなタイプが自動車の変わりとしてある程度普及したら都市やエネルギー問題の幾ばくかが解決されて万々歳なのですが、そうは巧くいかないでしょうねぇ。^^;;

MP3 07

ところで、このタイヤのプロファイル今までのスクーター用とちょっと違う様に見えるのですが専用ですかね?
今回残念ながら試乗はできなかったので、そのうち機会が有りましたらまたレポートさせていただきます。
といっても、「ムラカミモーターサイクルズ」さんと「ところで、」さんところで既に十分なレポートが上がっているので必要ないかな(w
まっ、なにはともあれ今後の展開が楽しみな一台です。

MP3 08

一方コチラはベスパの60周年記念車「VESPA GTV250ie」です。

gtv250 01

昨年は残念ながら生産が間に合わず展示が有りませんでしたが、今年はちゃんと展示されていました。

GTV250 02 GTV250 03

独自のフェンダーライトは良いんですが、フロントのレッグシールド回りのデザインをもう少しスッキリさせて欲しかったですね。
専用ミニバイザーとメーター周辺は良い感じだけに残念です。

一方こちらは同じく60周年記念モデルの「VESPA LX60」です。

LX60 01 tmcs07040115.jpg

これ、いいですよねぇ。
ただ、実用性を考えるとこのモデルまで本革シートが必要だったのかは少々疑問が残るところ、カッコはいいんですけどねぇ。
あっ、オサレさんはそんな事気にしちゃだめですか、すみません。

LX60 03

アナログなメーター周りもgoodです。
情報量の多いデジタルメーターも良いですがベスパにはアナログメーターの方が似合いますよね。

GTV250 09

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

【2007/04/02 03:10】 | Moto | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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