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のんびりポタポタと

チャリ生活復帰を宣言したものの、本当に自宅から会社まで自転車で通勤できるの?という疑問は当然有る訳です。
そこで昨日は曇天で涼く、土日は都内も車が少なく自転車で走りやすそうなので、弟の通勤用自転車を借りてプラプラと走ってきました。

三菱倉庫01

借りたのはミヤタのシティサイクル「ステンマックスG」というヤツで内装3段のギア付です。
11時過ぎに自宅を出発して、まず目指すは浅草です。

そしてチャリチャリとひたすら漕ぐ事、約20分。浅草に到着です。
で、早速昼食です。(まだ出発したばかりじゃん!)

夢や

目指したのはインドカリーの夢屋さんです。
前から来たかったお店の一つですが、浅草だと中途半端に近いのでバイクなんかで移動しているとかえって寄れる機会が無かったりするんですよねぇ。

マトンカリー

頼んだのはマトンカリーです。
小麦粉などは使っていないサラサラカレー。香草が効いていてさっぱりとした味で夏向きなカレーって感じでした。
辛口を頼んだのですが、それ程辛くなかったので極辛を頼べばよかったです。
それとサモサかタンドリーチキンも食べたい気がしたのですが、この後もすぐに自転車で走らなくてはならないので止めときました。

ルイガノ

店を出ると前にルイガノのクロスバイク「TR1」が置いてありました。
どうやら夢屋さんの物の様です。

食べ終わったあとは、そのまま混み合う伝通院通りを抜けて御徒町を目指し、向うで何件かサイクルショップを覗いてきました。
その後ようやく秋葉原を目指します。

アキバ

色々寄り道をしてきたのでアキバに到着したのは14時頃でした。
プラプラと走ってきた時間は40分くらいでしょうか。距離は7キロ位なので慣れれば20~30分って所でしょうね。
まだ、足には余裕があるのでそのまま豊洲の黄色いお店を目指す事にします。

三菱倉庫 02

江戸橋を越えた辺りの三菱の倉庫前にて

永代橋

永代橋までやって来ました。

ムラカミモータース

そして、黄色いお店に3時前に無事到着。
ここで、2時間ほどのんびりとさせていただきました。いつもどうもすみません。
帰りはここから一気に自宅を目指します。

祭り

菊川の辺りでお祭りしてました。この辺りもまだ亀戸天神祭なんですね。
もう少しして9月に入ると下町も祭りの季節です。

盆踊り

と、思ったらこちら「おいてけ堀」で有名な錦糸堀では、まだ盆踊りの最中でした。
ここからは最終目的地まであと少し、結局豊洲から自宅までは45分ほどでした。

一日ゆっくりと走ってみて、まぁ涼しくなればなんとか実用的な範囲で通勤できそうな事は分かりました。
でも、やっぱりすっかり身体が自然な自転車の漕ぎ方を忘れている事は実感。
ええと、踏み下ろすんじゃなくって円を描く様に回すんだったよなぁとか一々考えて走らなければならなっかったり、ブレーキかければ後輪ロックさせそうになるわでこれからリハビリが大変そうではあります。

追伸
次の日の朝起きると足にごくごく軽い筋肉痛。これは想定の範囲内。
しかし、お尻が結構痛かった。これは想定の範囲外でした。
ちなみに、先ほどMapFanWEBのルート検索でおよその走行距離を算出してみたら今回のルートは約23kmでした。
この倍の距離は楽々走れるようにならないとなぁ。

【2006/08/28 03:36】 | 自転車と減量 | コメント(0) | page top↑
ワイン・ガードナー -NS&NSR500 その7-

例によって長くなっていますが、今シリーズもいよいよ最終章、今回と次回は87年NSR500No.2を駆りWGP500ccクラスのタイトルを獲得したライダー「ワイン・ガードナー」に関してそれまでの道のりを主に書きたいと思います。


NSR500 0701


オーストリア人として初めてWGPの頂点に立った彼はWGP参戦以前から鈴鹿8耐や同200キロに参加していた為日本でも人気の有るライダーでした。
その為もあって87年は大いに盛り上がったものです。


1959年10月1日にオーストラリアの最大の都市シドニーに近い「ウロンゴン」という街にうまれたガードナーは10代の前半はカートに乗っていましたが、14才のクリスマスプレゼントに貰ったヤマハGTMX80でトライアルのレースに出場、幾つかの勝利を得た彼は地元のディーラーから小さなレーシングモトクッサーTY80を貸出されます。
そのマシンでショートサーキットレース(ダートレースの様なもの)に参加した彼は1年後にはオーストラリア国内のミニ・バイク選手権で2位に入賞しました。
後年彼がヨーロッパ出身のライダーとしては初めてアメリカンスタイルのスライド走法をマスター出来たのはこの時の経験があっての事だと思われます。


フロントカウル   アンダーカウル
NSRになってからライダー名は透明スクリーンに書かれる様になりました。   アンダーカウルに描かれたスポンサーステッカーロスマンズが無いのが・・・

やがてYZ125に乗り換えた頃には彼はその荒々しい走りから「ウロンゴンのワイルドボーイ」と呼ばれる様になっていました。
そして、17才になって友人に誘われロードレースに参加しそのスピードとパワーに魅了された彼はモトクロッサーを売り払いヤマハTZ250を購入、工場で働きながらプロレーサーを目指してロードレースに参戦し始めます。
ロードレースに転向後、C級→B級→A級と2年間で順調にクラスアップして行きましたが、あるときにあまりにアグレッシブなガードナーの走りが問題となり、彼はスポンサーから半年間勝ってはいけないと奇妙な条件を付けられたそうです。


下チャンバー   エキパイエンド
下2気筒から出るチャンバーはバンク角を稼ぐ為に平坦な俗に言うタイヤキ型。ちょっと綺麗過ぎますね。   リアカウル内の上2気筒分のチャンバーもキチンと再現されています。

79年、カストロール6時間に型遅れのカワサキZ650で750クラスに優勝し、更にオーストラリア・チャンピオンシップで3位に入ったガードナーには翌80年にピーター・モロイがスポンサー兼マネージャーに付き彼にプロレーサーとしてどうあるべきかを色々と教えてくれました。
この年のベル・レイ・スーパーバイク選手権ではホンダワークスのマイク・コールを抑え1・2戦と優勝を収めますが、その後マシントラブルで出場を断念せざる得ませんでした。
しかし、カストロール6時間ででは見事勝利を収めオーストラリアでも新人ライダーとして注目を集める存在に成長して行きます。


フロントホイール   リアホイール
アンチダイブシステムが廃されたフロントフォーク。ガードナー機はカーボン製インナーチューブを採用。
ディスクの表現はやや物足りなさが残ります。
  ニッシン製ブレーキ。ガードナーはカーボンディスクを組合わせる事が多いですが、鋳鉄製ディスクも用意されています。ガードナーはトルクロッドを固定していた事が多かった様です。

そして、この年のシーズン末近く彼に大きな転機が訪れます。
国内選手権最終戦には次の年にグレアム・クロスビーが抜ける穴を埋めるライダーを探す為にモリワキの御大「森脇護」がやって来たのです。
このレースガードナーはポールを獲得するものの本戦ではタイヤのミスチョイスで5位に終わります。
しかし本来エントリーしていなかったオープンクラスに出場しこれに優勝、そのファイト溢れる走りを存分に見せつけ、翌年のモリワキチーム入りを見事決めたのです。


スプロケット


81年モリワキで走る事になった彼はメインステージをイギリスに移し活躍し始めます。
モリワキのライダーとしてこの年日本に来日した彼は鈴鹿200キロで優勝、鈴鹿八耐では前年のトップタイムより2秒86も速い2分14秒76という驚異的なタイムでポールを獲得、スタートで出遅れるも驚異的な追い上げをみせレースを盛り上げましたがスプーンカーブで転倒、リタイアとなってしまいます。
しかし、この一戦で日本のレースファンにガードナーの名前は印象深く刻まれたのでした。

【2006/08/28 01:20】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
20年ぶりの復帰へ

皆様ご機嫌いかがでしょうか。
すっかり放置気味の当Blogですが、更新を止めた訳ではなく、ネタが有るときは忙しく、時間の余裕が有るときはネタが無くという感じでついつい放置になってしまいました。

隅田川

最近ちょっと手を痛めまして、そのときにヒシヒシと体力の低下を感じました。
まぁ、あたしは体重も有り過ぎですし、完全に運動不足ですね。

そんな事でもう少し涼しくなったら週の半分くらいは会社まで自転車通勤しようかなぁとか考えてます。
自転車は別にその辺で1~2万で売っている様なやつでもいいんですが、どうせなら多少趣味としても楽しめる様なスポーツ自転車の入門版を購入しようかなぁとか思ってます。実に20年ぶりのチャリ生活への復帰ですね。

購入する自転車の種類は最近流行のクロスバイクというやつにしようかと思っています。
こういうI良いとこ取りのヤツは往々にして結局なんにも出来ないというのはよく分かっていますが、まぁ自分でもどっちの方向に進もうか分かっていない状態なんで様子見にはよいかと思ってます。
そんなこんなで、どのチャリが良いかなぁと物色している今日この頃であります。
しかし、流石に20年も経っているともう全然なにも分からないですね。Vブレーキってなにさ、カンチブレーキとなにが違うのさ!って一事が万事こんな感じです。(w

ちなみに上の写真は例の停電の日に撮影した物です。
世間様の大騒ぎをよそに、バイク通勤の私は「雲の形が夏ぽくて良いなぁ」とのんきにカメラを構えながら会社に向かってましたとさ。

【2006/08/26 03:33】 | 自転車と減量 | コメント(6) | page top↑
ランボルギーニコレクション2買いました

皆さんこんにちは。
京商・サンクスの「ランボルギーニ・ミニカーコレクション2」が22日に発売になりましたね。
と、いっても実はすっかり忘れてまして、ボールチェアーさんところのコチラのエントリーを見て慌てて買いに行ってきました。=========└|∵|┐


このコレクションについては現在継続中の「NS&NSR500」の後に写真を掲載予定ですが、ログを見るとアソートの内容について探されている方もいらっしゃっている様なので私が購入したBOX内の配列を先に掲載しておきます。


イオタ-紫 シルエット-橙 カウンタックLP500S-青 イオタ-赤
エスパーダ-銀 エスパーダ-赤 ムルシエラゴRGT-黒灰 ディアブロSV-黄
LM002-黒 カウンタックLP500S-赤 ムルシエラゴRGT-白 ハラマ-白
ハラマ-銀 LM002-赤 ディアブロSV-青 ディアブロSV-青
ガヤルド-赤 ミウラ-金 ミウラ-黄 ガヤルド-黒

表の下側が実際のBOXでは手前側になります。
ランボルギーニ車で唯一興味のないディアブロが3個なのが~(>_<。)\ でありますが、イオタとミウラがちゃんと2個ずつ入っていたので\(>▽<)/であります。


このシリーズ出来の方は@^∇^@) の物もあれば(ー.ー") な物もありますね。
詳しくはまた今度という事で(o・・o)/~


J&C

【2006/08/24 13:49】 | ミニカー イタリア車 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
NSR500 -NS&NSR500 その6-

今回は前回からの続きでNSR500の開発ストーリーの続きです。


NSR500 0601


86年のNSR500-タイプIII型は大成功を治めたタイプII型のマイナーチェンジ版で各部の熟成が進められた他は大きな変更点は有りません。
唯一ホイールが今までのコムスタータイプからエンケイ製のマグネシュームホイールに変わったのが外見上の大きな違いです。


また、今までスペンサー専用だったNSR500がこの年からワークス入りしたワイン・ガードナーにも与えられる様になりました。
しかし、スペンサーは怪我の為に戦列を離れ、ガードナーもあまりにスペンサー用に特化したマシンのセッティングに苦しみ続け、ホンダは3年連続で得ていたコンストラクタータイトルを失ってしまいます。
このモデル後期には排気デバイスとしてATACに変わって、排気タイミングを電子制御する「RCバルブ」の先行タイプが採用され低中速のトルクをより増強しています。


nsr500 0602   NSR500 0602
フロントゼッケン地の黄色い部分はチョット幅が広すぎで、フロントカウルがやや太めに見えます。
リアカウル上の「SHOEI」ロゴはこの年度のマシンには無い気がしますが、付けていたレースが有ったのでしょうか?

86年の不調を受け87年はミッシュン以外共通部品は無いという位のフルモデルチェンジを受けたNSR500-タイプD型が登場します。
極端にピーキーな出力特性、特異なハンドリングなどスペンサー専用機ともいえたNSR500がこのモデルからガードナーなどの意見を大幅に取り入れGPライダーなら誰でも使える特性の穏やかなマシンに変更をされています。
中でも最大の変更点はエンジンです。
今までの上方シリンダー背後にキャブレターとリードバルブを並べた90度V型からキャブレターとリードバルブをVバンク内に収めた112度V型に変更されました。


フレーム   逆サイド
押し出しアルミ素材の目の字断面ツインスパー・ウルトラ・ライト・フレーム   逆サイドにはステアリングダンパー
ラジエターからの排出口はもうちょっと深い形状です

このエンジンはウォーターポンプやカウンターシャフトの位置なども工夫されNS500の3気筒エンジン並みにコンパクトにまとまっています。
キャブレターの位置変更によって新気も取り込みやすくなり、本格的に採用されたRCバルブの効果と合わせて最高出力は158馬力程度まで発生し、最初のNS500からみると実に40馬力近い出力のアップを遂げています。
エキパイも従来は下方に4本出ていたものが上方に2本下方に2本と振り分けられ、エンジンの小型化と合わせてレイアウトの自由度が増し前年まで出ていたアンダーステア傾向を解消しています。


カウルオープン   ラウンドラジエター
前方にスライドさせるとアンダーカウルが外れます   ラウンド型ラジエータ、フィンの間には墨を流したいところです

この変更によりフレーム幅も狭くなり、スウィングアーム下もスペースが空いた事によりリアサスペンションの取付け位置もより下方に改められています。
前面投影面積を少なくする努力は他にもあり、ラジエターは前年R-VFRに採用され効果が確認されたラウンドタイプに変更されています。
ラジエターはメインとサブの2基ありますが、サブは殆ど使われる事がなかったそうです。
これらの改良は大成功でガードナーにタイトルを獲得させ、5位にニール・マッケンジー、9位に日本人ライダーの八代俊二を送り込んでいます。
また、同じエンジンを積むハブステアのelf4とNSR500を併走させたロン・ハスラムは4位を獲得しています。


エンジン右サイド   エンジン左サイド
エンジン右サイド。乾式のクラッチカバーは別パーツにして欲しかったところです。   エンジン左サイド。クランクケースに何故か「HONDA RACING」の文字が入っていません。

その後NSR500は89年には倒立フォーク採用と180度等間隔同爆仕様エンジンが実験投入、91年にフレームの前面見直し、92年には不等間隔位相同爆方式の「ビックバン・エンジン」、93年からはフューエルインジェクションも一部マシンに採用、97年には再び等間隔爆発の「スクリーマー・エンジン」を採用など改良を加え続けられます。
特にビックバン・エンジン登場以降の94年から98年まではミック・ドゥーハンが5年連続タイトルを、翌99年はアレックス・クリビーレがタイトルを獲得し、ライダー、コンストラクタータイトル共に6年連続でホンダが獲得という黄金時代を迎えます。
2002年にはロードレース世界選手権のトップカテゴリーは大幅な規定変更で「500ccクラス」から500ccまでの2ストマシンと990ccまでの4ストマシンにて競われる「MotoGPクラス」となります。
その規定変更に合わせた4スト990ccV型5気筒を搭載する「RC211V」の登場までNSR500はホンダのエースマシンの座を勤め上げたのです。


NSRとオーストラリア国旗


次回はNSR500の完成期にホンダのエースを努め日本でも人気の高かったライダー「ワイン・ガードナー」についてです。

【2006/08/24 02:05】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ホンダ NSR500 '87 #02 1/12 ミニチャンプス -NS&NSR500 その5-

今回と次回はNS500から発展し長らくホンダのワークスマシンを努めたNSR500の主に初期シリーズについてと、ミニチャンプスから登場した1/12クラシックバイクシリーズN0.24「NSR500 1987 ワイン・ガードナー機」についてです。


NSR500 '87 01


NSR500というと活躍した期間が長いだけに様々なライダーが搭乗しライディングしていますが、私にとって一番思い出深いのはやはり、このガードナー搭乗のマシンですね。
モデルはミニチャンプスの物らしく全体のプロポーション、ディティールともに素晴らしいです。


ただ、金属部分の質感は実物の再現というより見栄え重視な感じとなっておりちょっと残念です。
特にタミヤのNS500の後だと素材等の違いはあるもののコストパフォーマンスの悪さを感じ、この価格だったらチャンバー部分の溶接痕などもうちょっと頑張って欲しかったなぁと思う部分が散見されます。
それと、やっぱり残念なのはロスマンズのマークとロゴが入っていない事ですね。
タバコ規制なんとかならないものですかねぇ。少なくてもこのクラスのモデルは子供向けではないですしねぇ。
とは云うものの全体としては満足の出来る完成度であります。


パッケージ01   パッケージ02
パッケージ外観   開けるとこんな感じ

実車のNSR500は、NS500がタイトル争いを続けていた83年の初めより早くも開発がスタートしていました。
NSの3気筒エンジンよりも高出力な1軸クランクケースリードバルブ90度V型4気筒を搭載した「NSR500(NSRはNew Sprint-racer of Reserchの略)」の開発の中心となったのはHRCの小森正道主任研究員です。
NS500は非常に優れたマシンでしたが、高速性より旋回性を優先したコンセプト故にザルツブルグやスパ・フランコルシャン、シルバーストーンなどの高速サーキットでの不利はあきらかで、年間を通して安定した成績を上げるためにはこれらのサーキットでも勝てる様になる必要がありました。
技術的な面でもラジアルタイプタイヤの登場し従来より高出力にタイヤが耐えられるようになった事、またツインスパータイプのアルミフレームなど車体側もそれに対応した軽量、高剛性のものが出始めておりNS500の開発時と状況が異なって来た事もあります。
また、コーナーで勝負するNS500はライダーに負担を掛けているのではないかという疑念も有った様です。


NSR斜め前   NSR斜め後
ちょっと表面の状態が良くなかったので今回はハセガワのセラミックコンパウンドとコーティングポリマーをかけてから撮影してます。

84年のNSR500-タイプI型はマスの集中化を狙って、通常タンクがある位置に軽いエグゾースト・パイプを配し、重い燃料タンクを逆にエンジンの下にアンダーカウルと同形にして配置した従来と上下が逆になった斬新なレイアウトのマシンです。
しかし、このレイアウトには欠点がありました。
まず、エキパイの下にキャブレターが有るために取り込まれる空気が熱くなってしまい、その為セッティングが狂い予定の出力が出なくなってしまいます。
そして、レース後半になると少なくなった燃料がマシンを切替す度にタンク内部で暴れ周り、操作性に悪影響を与えるという2点です。
その他にも、エキパイの下にエンジンヘッドなどがきてしまう為整備性にも劣る面、ライダーの真下にエキパイが有る為そこからの熱が体力を奪うなどの点も解決が難しい問題でした。


サイドから   上面
タンク形状がちょっと長すぎる気がします。

翌85年はレイアウトを従来のタイプに戻したNSR500-タイプII型となります。
エンジンはエキパイの出る方向を変更したものの基本設計は変わっていません。ただ、4本ともシリンダー前方から車体下に出した為にレイアウトには相当苦労したそうで、最後は現物合わせだったそうです。
大きなトピックはフレームがこのモデルからホンダお得意の目の字断面ツインスパータイプとなります。
ツインスパータイプはダブルクレドールタイプからアンダーチューブを廃しステアリング・ヘッドとリアアーム・ピヴォットを太い箱状部材で直線的に結んだシンプルなフレーム形式です。
ツインスパータイプの利点としてはアルミという素材の特性に合っている事、ねじり剛性が高い事、シンプルな形状の為当時の貧弱なコンピュータでも解析がし易いなどの点があります。
ヤマハは全体の形状が自由にしやすく肉厚も薄くし易いアルミ板同士の溶接方法を採っているのに対して、ホンダは断面形状が自由に出来、溶接箇所も少なく済む材質の押出し法を使用しています。
また、この年からロスマンズ・インターナショナルがファクトリー・ホンダのスポンサーとなった事によりカラーリングが一新されました。


NSR500 0501

【2006/08/21 03:50】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
フレディー・スペンサー -NS&NSR500 その4-

たいへんお待たせいたしました。
NS&NSR500編の続きです。


NS500&NSR500


前回からの直繋がりですのでもう何処で話が切れたか忘れちゃったよという方はコチラの最後の方だけでも読んで思い出してくださいませ。
たいへんお手数をお掛けし誠に申し訳ございませんです。「(^^;)
それでは、続きをどうぞ。


そして、ピット前をロバーツが先頭で通過して行きコーナーに消えて行ったときにホンダの人々もヤマハの人々もロバーツの勝利が決まったと思いました。
しかし、一人だけ諦めていない男がいました。そうスペンサーです。
彼は許された限界以上にエンジンを回してロバーツを追撃し、ロバーツとの間をギリギリまで詰めて行きます。
ロングストレート終端の右コーナー、勝利を確信したロバーツのインが少し開いた瞬間、そこにスペンサーは強引にフロントを割り込ませます。
割り込まれたロバーツは堪らずダートに飛び出し、オーバースピード気味のスペンサーもダートに飛び出して行きます。
そこから一瞬早く立ち上がったのはスペンサーでした。
そして、そのままトップでゴール!スペンサーの執念が生んだ逆転でした。
レース後ケニー・ロバーツは納得がいかないような表情を浮かべていたものの、危険行為等の申し立てはせずに静かに立ち去ったそうです。


NS500 0401 NS500 0402

これによってスペンサーとロバーツのポイント差は5ポイント、最終戦でロバーツが優勝してもスペンサーが2位に入賞すればスペンサーのタイトル獲得が決定します。
タイトルに王手を掛けたフレディ・スペンサーはこの時若干21歳でした。
1961年12月20日にルイジアナ生まれの彼は6才頃より父親とダートレースなどに参加、79年からは名メカニックとして名高い日系三世アーブ・カネモトに預けられプロデビュー、デビューした年にはノービスチャンピオン、翌年にはエキスパートチャンピンオンを獲得とたちまちのウチに頭角を現しました。
スペンサーの走法は、マシンをバンクさせている時間が短かく、ピークパワー域を極端に多用するのが特徴です。
マシンがバンクした瞬間にはエンジンをパワーバンド域に突入させそのパワーでタイアをスライドさせマシンは素早く脱出方向を向きます。
結果としてコーナー立上りで全開にするタイミングが早くコーナーを素早くクリアして行きます。
その才能故かマシンのセッティングが出ていない状態でも良いタイムが出てしまうためにメカニックはセッティングの良否の判断に悩み、アーブ・カネモトなどは走り終えた後ヘルメットに残った汗の量から運動量を推測し判断の助けにしていたなどと云われています。


NS500 0403   NS500 0404
片山機の場合はここのネームは「T.K with SUGI」と入ります   リアエンドカウルはホンダ独特の長く大きいタイプです

最終戦のサンマリノGP はイモラにあるサーキット「オートドモーロ・ディノ・フェラーリ」での開催です。
予選の結果はトップがロバーツ、2位がスペンサー、3位にホンダのマルコ・ルキネリ、4位にスズキのランディ・マモラ、5位にヤマハのエディ・ローソンでした。
片山は予選中に転倒、両足と背骨に骨折を負い決勝に出る事は叶いませんでした。
レースはやはりロバーツとスペンサーのトップ争いになりますが、ロバーツはチームメイトのローソンが追いつけるようにあまりペースが上がらないようにスペンサーを押え続けます。逆にスペンサーはあまりペースが落ち過ぎないようにロバーツを牽制して行きます。
そして、この勝負のキーマンとなったローソンはスタートは出遅れたものの、その後予選以上のペースで追い上げ4位にまで上がってきます。
その前を行くのは81年のチャンピオン、地元開催で燃えているルキネリです。ルキネリにはチームオーダーは出ていませんでしたが、ローソンを押えにいきます。


NS500 0405   NS500 0406
後方が絞り込まれたタンクは使い勝手が良さそうです   ショーワの正立タイプフォーク。ノーズダイブを防ぐTRACが装備されています

ローソンがルキネリをやっと退けたのは17周目、残りは8周、トップとの差は約10秒追いつくのが不可能な数字ではありません。
ロバーツはペースを抑えつつローソンを待ちますがローソンの頑張りもそこまででした。
ルキネリとのバトルでタイヤも気力も使い果たしてしまったのです。
斯くして1年にわたる激戦は終わり、僅か1ポイント差でしたがスペンサーがワールドチャンピオンとなりホンダに16年ぶりのタイトルをもたらしました。


NS&NSR01


翌年、ホンダはスペンサー用マシンとしてNS500に代わって90度V型4気筒を搭載した新型「NSR500」を用意します。
NSR500-タイプI型はマスの集中化を狙って、従来燃料タンクがあった位置に排気管を配し、タンクはアンダーカバーと一体化しエンジンの下に配置するという上下が逆になった斬新なレイアウトのマシンです。
が、あまりに革新的すぎたレイアウトは欠点も多く、流石のスペンサーもマシンを持て余し、レースによってはNS500で出場したりしました。
結局この年スペンサーは年間4位に留まり、タイトルは前年辛酸をなめたヤマハのエディー・ローソンが獲得します。
それでもNS500を駆ったマモラ、ロッシュハスラムがそれぞれ2、3、5位を獲得しコンストラクターズタイトルはホンダが獲得しています。


NS&NSR02 NS&NSR02
'83NSと'87NSRの前面投影面積の比較。
4気筒のNSRがかなりスリムに造り込まれているのが分かります。

この結果に気落ちしたスペンサーに新たに提示された目標は250と500のダブルタイトル制覇でした。
複数クラスの制覇は60年代までは何人かのライダーが達成していましたが、マシンの出力が上がりライダーに掛かる負荷が増えた70年代以降は達成した者がいませんでした。


マシンは250ccクラスにはホンダが新たに用意した「RS250WR」これは85年型のNSR500-タイプIIのエンジンを半分にした様なマシンで、市販レーサーがメインだった250クラスでは明らかに他を圧倒するパフォーマンスを有していました。
一方500ccはレイアウトを従来のタイプに戻したNSR500-タイプII型です。
この年スペンサーはインディ・ウィークの3タイトル制覇に始まり、圧倒的な強さを見せ、挑戦一年目にしてWGPの250と500のダブルタイトル制覇を達成してしまい、その類い希なるタレントを見る者の胸に刻みつけたのです。


NS&NSR03   NS&NSR04
サイドから見た両機種の形状比較
球形に近い形状のNSから少しずつ現代のくさび形のカウル形状に近づいているのが分かります
個人的にはNSの形状の方が美しくて好きですが

しかし、天才はその輝きをこの年以降急激に失っていきます。
86年初戦スペインGP、2位に9秒近い差をつけていた中盤、右手首の痛みを訴えてピットイン。そのまま、リタイアしてしまい、この年は殆どレースに出れない状態が続きます。
87年は転倒と怪我のオンパレードです。
まずデイトナで転倒に巻き込まれて、鎖骨骨折。
WGPに入ってからも第3戦に膝カップが割れ、第6戦は予選中にラインをふさがれ転倒、鎖骨骨折。
復帰した第9戦ではリアタイヤがロックし、リタイア。第12戦も後続ライダーに追突され、転倒。第14戦では、コンタクトレンズが曇りペースダウンを余儀なくされます。
そして、右手首も手術を受けても完治せず、結局88年の第1戦日本GPでスペンサーは引退をしてしまいます。
その引退記念走行は2度もWGPを制覇したチャンピオンのものとしては盛り上がりに欠ける面が有り、やや寂しいものでした。


NS&NSR05   NS&NSR06

引退後は右手の治療を続けながらも四輪のレースにも出場したりしていたそうですが、ヤマハのアゴスチーニに誘いを受けた事から引退を撤回、89年には再びWGPに戻って来ますが、思うように走れずシーズン途中でチームを去ります。
しかし、その後右手の症状は脊髄の圧迫に依るものである事が判明しました。
背骨の手術を受け完治した後の92年、鈴鹿8耐に桜井ホンダのチームミスタードーナツから鶴田竜二とペアを組み出場、並居るワークスクラスのマシンを相手に転倒しつつも4位に入る健闘を見せ、往年のファンを熱くさせてくれました。
その後、8耐には99年にホンダの依頼で出場していますが、この時はフリー走行中の転倒で右手の甲と左手の小指を骨折、本戦に出場する事はできませんでした。
スペンサーは現在ラスベガスでライディングスクールを主催しています。
83年のチャンピオンマシンNS500は現在このライディングスクールに展示されているそうです。

スペンサーが世界舞台の第一線で輝いた期間は短かったですが、その走りは眩いばかりの光を放ち、当時を知るものにはきっと忘れる事ができ無いものの一つではないかと思います。


ns500en

【2006/08/18 01:15】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
残暑お見舞い申し上げます

皆様、残暑お見舞い申し上げます。
炎暑が続き本当の秋が待ち遠しい毎日ですが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
と、まずは型どおりの挨拶で初めてみました。(w


タイトル


お盆休みはいかがお過ごしでしょうか?
私はズ〜〜〜〜ットお仕事で、前回書きました腕の痛みが更に事態を悪化させておりました。(泣)
例年ですと、この位の時期は仕事の方は落ち着いてくる頃なのですが、某I社の新製品が8月に出た為に忙しい時期が延長されている感じです。
おの〜れI社め!(w
NS&NSR500の記事をお待ちの方もなかにはいらっしゃるかと思いますが、すみませんがもうちょっとだけお待ちください。
このエントリーをアップしたら取り掛かり、1〜2日中にはアップします。


それはともあれ、今回残暑お見舞いといたしまして、近日中に取り上げる予定の無いモデルからちょっとだけ変わったものを4点ほど掲載させていただきます。


   ミニチャンプス 1/43 Audi クワトロスポーツ Antriebsstrang
 
クワトロ01   クワトロ02
昨年発売25周年を迎えたクワトロの記念として発売された一連のパッケージ品から、クワトロスポーツの動力系シャーシです。
四駆のメカのみリリースされちゃうってのが、なんともクワトロらしいモデルです。
 
クワトロ03   クワトロ04
台座の模様も雪、落葉、砂地、石畳と4種類描かれていて、どんな路面も制するって処でしょうか。 ご覧のとおり1/43としてはエンジンも精密に造られています。
 
   ノレブ 1/43 シトロエンC4ハイブリッドHDi
 
C4HDI01   C4HDI02
今年のジュネーブショーでお披露目され2010年に発売の1.6リッター4気筒ディーゼルハイブリッドシステムを搭載のシトロエンC4ハイブリッドHDiです。
シトロエンC4は好きな車ですが、今までは気に入った色の販売がなく、購入を見送っていましたが、このHDiはグラフィックも気に入ってます。
 
C4HDI03 C4HDI04
なかなかキレイなグラフィックが車体各部を飾っています。 天井のグラスルーフも見事に再現、コクピットなども細かく造られています。
C4HDiの試乗記はコチラにあります。
 
   ノレブ 1/43 シトロエン2CV Pompiers de Cogolin
 
2CV01   2CV02
この2CV何処が通常と違うかよ〜く見て下さい。答えは直ぐ横→ですが。(w 正解はコチラ!なんと前後両方向にコクピットが有ります。
 
2CV03 2CV04
FFで車体前半部でメカニズムが完結している2CVならではですが、前後両方にエンジンとコクピットが有り、ドチラにでも進む事ができます。
消防用の車両ですが、役に立ったのでしょうか?
 
   ミニチャンプス 1/43 ポルシェ356ライトメタルクーペ
 
356L01   356L02
最後はポルシェ356からル・マンで初参加・初優勝(1100ccクラス)を遂げた有名な356ライトクーペのACO100周年記念パッケージ版です。
アルミ製軽量ボディにホイール・スパッツなどの空力対策を施し、50馬力のエンジンで160km/h以上のスピードが出たといいます。
 
356L03 356L04
カッコカワイイけど、お髭まであって、ちょっと親父顔です。(w なかなかのバックシャン(フル〜〜)なのでありますです。
【2006/08/15 01:41】 | ミニカー ドイツ車 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
店舗紹介 西南堂さん

皆様、こんにちは。
本来ですと今回はNS&NSR編の第4回目ですが、ちと右手前腕部の筋をちょっと痛めてしまって長文入力していると少し痛むので、お休みさせていただき、先に原稿を作成しておいた店舗紹介を掲載させていただきます。
(ちなみに手の状態は大した事ないのですが、念のためって感じです。もしも待っていた人が居たらゴメンなさい!)


今回ご紹介させていただきますのは東京の曙橋にあります、非常に珍しいオートバイ専門のプラモ&ミニュチュア&トイ販売店「西南堂」さんです。


西南堂


もちろん、今回使用しているNS500とNSR500もこちらの西南堂さんで購入をさせていただきました。
その節はお世話になりました。m(_ _)m


西南堂さんはバイク好きのご主人の趣味が高じて開店されたという事だけあり、店内は全てバイク関連の商品で埋め尽くされています。
開店は2003年の1月で、それ以来変わらずバイク一筋なのは素晴らしいと思います。


西南堂   場所はコチラ!

地図をクリックするとちず窓のページが開いて縮尺などを変えながらグリグリできます。

公共の交通機関でしたら都営新宿線の曙橋駅から0分です。
バイクや四輪で出かけるのなら靖国通り沿いですので便は良いですが近辺に良い駐車場がありませんので、駐車場所に気をつけましょう。
 
店内 ミニカー1 店内 ミニカー2
店内はこんな感じでバイク関連商品が溢れています。
上の2枚はミニカーコーナーです。 個人的にはシュコーの物をもう少し揃えたいのですが、次々に出てくる新製品に押されてナカナカその余裕がありません。
 
店内 プラモ 店内 トイ
コチラはプラモデルのコーナー、内外の様々なメーカーの物があります。 トイコーナーも思わずニヤリとさせられる物が並んでいます。

バイクが好きな方なら一度は行って損は無いお店です。
自分の乗っているバイクや好きなバイクが有るか探されてみてはいかがでしょうか。
ちなみに今月の19、20日はバイクの日にちなんで「Somethig Special」を開催されるそうです。


西南堂 表02

西南堂

住所 東京都新宿区片町2-3 エステート絹1F

営業時間 11:00~20:00(日祝は19時)
定休 月曜(祝日の場合は翌日)

サイト http://www.seinando.com

【2006/08/08 23:10】 | ミニカー ショップ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ファスト・フレディとキング・ケニー -NS&NSR500 その3-

1982年のホンダチームは監督に全日本125ccチャンピオンの経験も有るテストライダー出身の開発者、尾熊洋一が就任しました。
ライダーには新人ながらもずば抜けた速さを見せるフレディ・スペンサー。1977年に日本人として初めてのWGPチャンピオン(350ccクラス)を獲得し、3年間NR500とも苦楽を共にしてきた片山敬済。前年ガリーナ・スズキからRGγ500を駆り500ccクラスWGPチャンピオンに輝いたマルコ・ルキネリの3名がNS500を担当、NR500に押し掛けスタートが速い事からロケット・ロンの愛称を持つロン・ハスラムといった体制です。


ns500 0301


そして迎えたアルゼンチン・グランプリ予選当日、サーキットは騒然となりました。
NS500がスペンサーのドライブによっていきなり2位のタイムを叩き出したからです。
しかもトップのケニー・ロバーツとのタイム差は僅か0.05秒です。


決勝ではスペンサーは一時トップに立ったものの後半エンジンがだれてしまい3位で終了しました。
しかし、前年まで1ポイントも獲得出来なかったホンダのニューマシンがいきなり出したこの結果は各ワークスに大きな衝撃を与えました。
なかでも衝撃を受けたのはチャンピオン奪還を狙うロバーツだった様で、第2戦からは来年登場予定だったV型4気筒エンジン搭載のOW61を熟成途中だったにも関わらず投入しています。


ns500 0302 ns500 0303

しかし、第2戦以降はマシンのマイナートラブルやライダーの転倒などで思うような戦績はなかなか上げられませんでした。
この間NS500はエンジンの耐久性アップとマシンの更なる軽量化を目指し絶え間ない改良が続けられています。
この時期投入された大きな改良ポイントとしては角形断面アルミフレームとカーボン・ファイバー製のコムスター・ホイール(計で4kg以上の軽量化)、ニカジル・メッキシリンダーなどがあります。 また、心材をカーボンとしたスイングアームなども実験的に投入されました。


アルミフレーム アルミスィング
角形断面アルミフレーム カーボンスィングアームの場合後端部が黒鉄色になります。

そして迎えた第7戦のベルギーグランプリ、ホンダチームは一つの賭けに出ます。
スペンサーのマシンを担当している名メカニック、アーブ・カネモトとも相談し、オイルの混合比をそれまでの25:1から30:1に変更したのです。
2ストではガソリンにオイルを混ぜ各部潤滑を行いますが、この混合比率が低いほどエンジンの吹けは良くなりますが、同時に焼き付きの危険も出てくるのです。
この変更は成功し、スペンサーはシーン、ウンチーニ、ロバーツなどの強豪を抑え見事ホンダに15年ぶりのWGPでの勝利をもたらしました。
その後、第10戦スエーデンGPでは片山が、第11戦サンマリノGPでは再びスペンサーが勝利し、82年は後半3勝、ランキングはスペンサーが3位、片山が7位、ルッキネリが8位と来期に期待が持てる結果を残し終了しました。


1983年、NRブロックはNS500の市販タイプ「RS500R」の販売を開始し、組織を「HRC(HONDA Racing Corp)」へと発展させます。
83年型「NS500(NS2B) 」の最大の変更点は後方2気筒にATAC(Auto controlled Torque Amplification Chamber)という可変サブチャンバーシステムを装備した事です。これにより中低速のトルクを増強し、エンジン本体はより高回転寄りのセッティングに変更されています。


NSRチャンバー 排気チャンバーは東ドイツのメーカー「MZ(Motorradwerk Zschopau)」の技師「ヴァルター・カーデン」により開発され、これにより2ストは劇的に出力を向上、4ストと同等以上に戦える様になりました。
その後MZの名メカニック・ライダー、エルンスト・デグナーが西ドイツに亡命、契約したスズキにその技術はもたらされ日本でも一般的な技術となって行きました。
亡命の経緯は当時スズキの技術者だった中野広之氏のサイト「日本のモーターサイクルの夜明け・スズキ挑戦の記録」に詳しい記述があります。
(写真はNSR500の物です)

2ストエンジンの排気管にはチャンバーと云われる太くなった部分が存在します。
エンジンからの排気がこのチャンバーの太くなった部分(ダイバージェントコーン)に到達すると排気管内の圧力が低下し負圧波が排気を引き出す効果が生じます。逆に排気がチャンバーの終端部(コンバージェントコーン)に到達すると正圧波が発生し、余分な新気まで排気管に出てくるのを防ぎます。
チャンバーの形状や長さによって圧力波がエンジンに届くタイミングが決定され、これにより2ストエンジンの性格は大きく変わります。
ATACはサブチャンバーを開閉する事により負圧波や正圧波がエンジンに到達するタイミングを変更し、より広い回転数でトルクを引き出すシステムです。
こういった2ストの排気デバイスには他に可変排気ポート型があり、ソチラの代表的な物がヤマハのYPVSです。
ATACの具体的な構造に関してはコチラに市販バージョンですが簡単な図面があります。


ボトムリンク カーボンブレーキ
ボトムリンク式リアサス カーボンローターブレーキ

その他の大きな違いはリアサスペンションがボトムリンク方式に発展し、リアブレーキにはカーボンローターを装備する様になっています。
また、リヤホイールが18から16インチに小型化され、車重は3kg軽い116kgとなりました。
根本的な変更を受けたという部分はなく、全体的にはマイナーチェンジといったところです。


その年、ケニー・ロバーツは今シーズン限りで引退を表明すると同時にWGP500ccのタイトルを取りに行く事を明言しました。
YZR500(OW70)に搭載したV型4気筒も昨年より熟成を続けており、フレームもより近代的なツインチューブタイプに進化し戦闘力を上げています。
ケニー・ロバーツは偉大なライダーです。それはハングオン走法(ライダーの体をバイクの内側にまで倒し込む走法)をWGPに持ち込んだとか、78年から3年連続でWGP500ccクラスチャンプとなったなどの実績面だけでなく、ヨーロッパとアメリカのレース文化の交流やライダーの待遇改善への尽力、コースの安全性の確保、メーカーとライダーの共同での開発体制のあり方への提言などの行動がロードレースが真のプロフェッショナル・スポーツに脱皮して行く上で重要なステップとなったのです。
その偉大なキングの称号を持つライダーが全力でタイトルを取りに来ると明言をしたのです。
一方のスペンサーも最年少のWGPチャンプとなる為にはこの年が最後のチャンスであり両者はその年最後まで一歩も引くことなく戦い続ける事となります。


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シーズン序盤第1~3戦はスペンサーが優勝、第4戦はロバーツが取り、第5戦は再びスペンサー、第6戦はロバーツ、第7戦はスペンサー、第8~10戦はロバーツと互角の闘いを繰り広げます。しかも、ここままでこの2人しか表彰台の真ん中には立っていないのです。
この結果がいかにこの年の二人が他のライダーより速かったかを如実に表わしていると思います。
残るはスウェーデンGPとサンマリノGPの2戦のみ、この時のポイントはフレディー117ポイント、ロバーツ115ポイントでその差僅か2ポイントです。


アンダーストープサーキット
アンダーストープ・サーキット(正式名称 スカンジナビアン・レースウェイ)
画像はAnderstorps Racing Clubのページより転載


スウェーデンGPの行われるアンダーストープ・サーキットは飛行場の滑走路と兼用の長いストレートと細かいコーナーが組み合わされた複合サーキットでコーナーに強いNS500に有利ともストレートが速いYR500に有利とも言いかねる場所です。
ちょっと変わった部分ではピットはストレートの手前にあり、フィニッシュラインはストレート後2つ右コーナーを過ぎた部分にあるため、ピットからも見えない位置にあります。
予選ではスペンサーがロバーツに1秒81の差をつけましたが、決勝当日のフリー・プラクティクスではロバーツも同等のタイムを出してきました。


決勝レースが始まりました。
スタートはスペンサーがキレイに決め、ロバーツは一時4位に落ちますが1周目を終えたところで早くも2位に上がってきます。
ロバーツはその後も好調なラップを重ね7周目にはスペンサーをストレートで抜き去ります。
スペンサーとの差は一時3秒近くになりましたが、その後スペンサーも追い上げ激しいバトルが繰り広げられます。


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そして、最後のストレートにロバーツが先頭で入って行ったときにホンダの人々もヤマハの人々もロバーツの勝利が決まったと思いました。
最後の連続コーナーに2台が消えていき、それぞれが撤退の準備に入ろうとしたとき、場内に大歓声が響き渡り、場内アナウンスも何事かを昂奮気味に喋り始めました。何かが起こったのです・・・

【2006/08/05 01:18】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
NR500とNS500 -NS&NSR500 その2-

1976年末当時の本田技研工業社長の川島喜好によって10年ぶりにWGPに復帰する事が発表されました。
このプロジェクト為に創設されたのが入交昭一郎を長とするNR(NewRacing)ブロックです。


NS500 02TOP


ホンダは2ストエンジンが独占状態だった当時のWGPに4ストエンジンで挑む事を決めます。
その為に開発されたのが長円型ピストン8バルブ4気筒の4ストエンジンを持つ「NR500」でした。
長円型ピストン(俗にUFOピストンとも言います)を持つエンジンは500cc4気筒をなんと2万2千回転まで回す超高回転型エンジンです。
NR500はボディもモノコックフレーム、サイドラジエータ、倒立フォークなど極めてユニークな物でした。
もしも、日本人の作る物にはオリジナルティがないなどと言う人がいたらこの「NR500」の事を話してあげてください。
それは正に独創性の塊でした。



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そして、79年よりWGP参戦を始めたNR500でしたが、故障が続出、スタッフが不慣れな事もあり、結果は惨憺たる物でした。
NRブロックのメンバーは徐々にNR500の熟成度を高めて技術やレースノウハウを蓄積していきましたが、NR500は勝てそうで勝てない状況が続きます。
NR500に関してはまた詳しく書く機会もあると思いますので、そのときにでも。


一方、NR500の熟成作業と平行して80年シーズン終了後にもう一つのレーサー開発がスタートします。
それが、後に「NS500」として結実する事になる2ストレーサーです。
NR500が勝てない事についてホンダのトップは何も言いませんでしたが、現場の営業からは勝てるマシンを!という声は日に日に増してきました。
なぜならその頃はヤマハとの激しいオートバイのシェア争い「HY戦争」の真っ最中であり、その為にもイメージアップに繋がるWGPでの勝利が必要とされていたのです。
ちなみにHY戦争の最中82年にホンダが発売したニューモデル数はなんと42機種にものぼり、それだけ激しい争いだったのです。


後方2気筒 前方1気筒
後方2気筒の排気管はシート下から 前方1気筒の排気管はスィングアーム下に

また、入交昭一郎を初めとしてNRブロックの上部が高く評価をしていた天才の呼び声も高い若手ライダー「フレディ・スペンサー」がNRの可能性は認めつつも最年少でのWGPタイトル獲得するために早期に勝てるマシンを切望していた事も要因の一つです。
そして、なにより複雑で高度なメンテナンスが要求されるNRのエンジンでは市販レーサーの発売は絶望的という事がありました。
そういった事情からNRブロックとしては苦渋の決断ながらも2ストレーサーの開発はスタートしたのです。
開発のリーダーはNRブロックで2ストモトクロッサーを担当していた宮腰信一があたる事になりました。
宮腰はモトクロッサーのエンジンを複数合せた様なロードレース用エンジンの提案を以前入交にしていたのです。


コムスター hns06080107.jpg
コムスターホイールはアルミとカーボン製が有ります。 チェーンのコマまで精密に再現されています。

宮腰は新しい2ストレーサーは最高馬力よりも軽量・小型で旋回性能に優れるマシンを追求する方針を立てます。
最高馬力で劣っても、軽量で全面投影面積の少ないシャーシに搭載できれば、最高速では劣らず(ブレーキの効きも良い)、扱い易いエンジンに仕上げる事も可能だからです。
またこの時期、出力は130馬力に迫りつつありましたが、その出力にタイヤの性能が追いつかなくなりつつあった事も方針決定時の大きなファクターとしてありました。
エンジンは当時二軸で前後に2気筒ずつ配するスクエア四気筒が主流でしたが、新しいエンジンは出力よりも軽量を追求し一軸112度V型三気筒(前一気筒、後二気筒)としました。
吸気系にも高回転時に有利なロータリーディスク・バルクではなくモトクロッサーで採用されていたシンプルなピストンリード・バルブが採用されました。リード・バルブを採用したのは低速時の扱いやすさと始動性の良さを見込んでです。
当時のWGPは押しがけスタートでしたので、始動性が良ければ3~5秒のリードを得る事ができました。それは逆に始動性で苦労したNR500からの教訓でもありました。


ハンドル周り フロント
ハンドル周辺。メーター周りは黒いハードスポンジが正解 ショーワのフロントフォークとニッシンの異径4ポッドキャリパー

車体周りはNR500で得られたデータを元に設計された鋼管丸パイプのダブルクレドールタイプのフレームが採用されましたが、4ストよりピックアップの良い2ストエンジンではフロントが浮きやすくなってしまう為に、フロント周りの強化や前輪加重の見直しなどが行われました。
リアサスペンションにはやはりオフロード系で実績のあるプロリンクタイプのモノサスが採用されています。
エンジンこそ三気筒リードバルブと変わっていますし、部分部分にはNRからフィードバックされた最新技術が使われているものの、全体としてはその当時のオーソドックスな構成の車体です。


NS500 0203


技術的にはモトクロッサーやNR500からの持越しが多いだけあって新しい2ストレーサーは1年あまりという短期間にて完成し「NS500(NSはNewSprintracerの略)」と名付けられました。
NS500は1982年3月14日の鈴鹿2&4レースにて片山敬済と阿部孝夫のドライブにて4位と7位というまずまずの成績でデビューを飾りました。
そして、3月28日にはいよいよ82年度WGP開幕戦アルゼンチン・グランプリを迎えます。

【2006/08/02 02:42】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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