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引っ越してきました

皆様はじめまして、BK-BELと申します。
この度、このFC2ブログに引っ越してまいりました。

引越し荷物とHツーリスト

今までコチラで書いていた二輪と四輪の話題を中心としたBlogと、コチラで書いていたミニカーのBlogを一つにまとめたものです。
過去ログは既に大方移し終えましたが、2つのBlogをまとめている関係上ちょっと記述におかしな点等(前回の云々と書いているが、前回は全然別の話題になっているとか)がございますが、ご了承ください。

取り上げるネタは上記の二輪や四輪、そのミニカーや写真について、それと最近割と真剣に取り組んでいる自転車と減量、その他時折PCの事やオーディオ関連などです。
週1・2回の更新とあまり更新頻度は高くないもっさりとしたページですが思い出しましたら時折お立ち寄りください。

今回の追記は今回使用したモデルカーとその実車についてです。

ちなみに、今回撮影に使用したのはSchuco社のクラシックコレクション1/10「ハインケル ツーリスト 103A2」です。
ハインケル社は元々ドイツの航空機製造会社で世界初のジェット機を製造した事でも有名です。

ツーリスト01

ツーリストは1953年にハインケル社が発売した大型スクーターで(当初は150cc、1954年のモデルチェンジから175cc)、「103A2」は最終モデルで1960から1965年まで5万台以上生産されました。

イタリアのスクーターが市街地での使用を前提とし軽快さを売りにしていたのに対して、同時期のドイツ製スクーターは高速巡航性を重視した物が好まれていたようで、ボディデザインも空力を意識したものになっています。
実際に103A2ですと148kgの車体を最高速度93km/hまで到達させるなど、この当時のスクーターとしてはなかなかのスペックです。
日本のラビットやシルバーピジョンも中期の以降モデルはこれらのドイツスクーターの影響がみられます。

Hツーリスト02

ハインケル・ツーリストは丈夫な事でも定評があり、復興期のドイツでは様々な所で使用され総生産台数は16万台を越えたそうです。
大型で丈夫な車体は荷物の可搬性にも優れ日常の足として、レジャーのお供として大活躍しました。
そして復興が進みドイツがより豊かになるにつれ、これらのスクーターの機構を利用しキャビンが付いたバブルカーへと進化して行きます。

Hツーリスト03

モデルはこの大型スクーターの特徴をよく掴んでいる秀作です。
Schuo社ですと、味のあるモデリングが特徴のPiccoloシリーズが日本でも人気ですし、私も好きですが、このシリーズは割とリアルなモデリングでコレはコレでまた良いです。
ただ、実車のライトはもう一回り大型だと思いますし、シートの質感は今一つです。
あと、前部スカートはもう少し丸みがあった方が良いかもしれません。
また、このシリーズには半完成品の組立てキットとして販売されている物もあり、完成品より雰囲気のある洒落たケースに収納されています。

Hツーリスト04

なんにせよ自国の歴史的な二輪車が手ごろな価格の精密モデルでリリースされているのは羨ましい限りですが、日本でも昨年からエブロがホンダの旧二輪車をリリースし始めているので今後に期待しています。

テーマ:ミニカー - ジャンル:車・バイク

【2007/03/06 01:42】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
ホンダ NSR500 '87 #02 1/24 チャンピオン・バイク・コレクション No.4 -NS&NSR500 その8-

いよいよ長かった今回のシリーズもようやく最終回に辿り着きました。
今回はワイン・ガードナー・ストーリーの後篇です。
モデルはデアゴスティーニ・ジャパンから隔週刊で発売中のチャンピオン・バイク・コレクションの4号に付属のNSR500にスイッチします。
ちなみに次週発売の53号は、エルフ・プロジェクトのハブ・ステアGPマシン、ロン・ハスラムドライブ「eif3」が登場です。久々に発売が楽しみです。
では続きをどうぞ。


NSR500 0801


82年、ガードナーはイギリスのホンダとスズキのチームから誘いを受け、イギリス・ホンダを選択、契約を交わす事となります。
この年は幾つかのレースで優勝したものの年間を通してはイギリス・スズキのマシンの方が速くそちらで走っていた友人のロジャー・マーシャルにタイトルは持って行かれてしまします。
83年、それまでの4サイクルマシンから2サイクルのRS500に乗り換えた彼は順調に勝星を重ねていき、オランダGPでWGPに初挑戦となります。


パッケージ表 パッケージ内部
パッケージの表はこんな感じ 開けるとこういう風にモデルが収容されてます

初出場でしかも戦闘力的にもやや劣るRS500での参加にもかかわらず予選を10位という好成績で通過したガードナーでしたが、本戦では転倒した前年チャンピオン、フランコ・ウンチーニに不運にも激突、ウンチーニは生死の境をさまよう事になりガードナーは彼が死んだら自分はレースを引退すると泣き崩れたといいます。
幸いウンチーニは一命を取り留め、その後レースにも復帰しました。
この年イギリスTT-F1タイトルは獲得したものの、ガードナーは運に見放されたかの様に転倒続きとなり手の骨を2ヶ所と足の骨、さらには背中も痛めてしまいます。しかし、彼のファイト溢れる走りはイギリスのファンの心を掴んだのでしょう「モーターサイクル・ニュース」誌が選ぶ「マン・オブ・イヤー」にバリー・シーンやロン・ハスラムといった名だたるライダーを抑え選ばれています。


台座01 台座02
台座はこんな感じです

84年、彼はWGPにフル参戦を希望しますが、イギリス・ホンダはその為のスポンサーを見つける事が出来ませんでした。
そこで彼はマシンにのみをホンダに供給して貰いプライベーターとして5レースに参加し最高3位、年間を通じて7位という好成績を残します。
イギリス国内でもTT-F1、シェルオイル500cc、MCNマスターズなどの主要タイトルを総ナメにする大活躍でした。
また、この頃スペンサーの走りを参考にパワースライド走法を完全に身につけた様です。


NSR 0802 NSR 0803
フロントカウルの傾斜がややつきすぎですが、それ以外は全体の形状は良好です。

85年もスポンサー探しに苦労したイギリス・ホンダでしたがこの年からファクトリー・ホンダをスポンサードする事になったロスマンズ・インターナショナルがイギリス・ホンダもスポンサードする事になりガードナーと僚友のハスラムにもNS500が与えられる事となりました。
イギリス・ホンダは他の全てのチームがミシュランを使う中唯一ダンロップを使用しており、タイヤのミスチョイスに依るものと思われるトラブルに苦しみつつもランキング4位に入る活躍をみせます。
また、日本においても鈴鹿BIG2&4、そして鈴鹿8耐においても優勝し日本での人気を不動のものとします。
その後も彼は86・91・92年と4回鈴鹿8耐に勝利し2005年に宇川徹が5回目の優勝を記録するまで長く最多優勝の記録を保持していました。
※暑いのが苦手な彼は夏の鈴鹿8耐はあまり楽しいレースではなかった様ですが。


NSR 0804 NSR 0805
ご覧の通り価格の割には細部の仕上げもガンバっているのであります。

86年遂にファクトリー・ホンダと契約するする事になったガードナーはスペンサーと同じNSR500を与えられます。
前年250と500のダブルタイトルを獲得したスペンサーでしたが、この年は殆どのレースに参加できず急遽ガードナーがホンダのエースライダーを努める事になりますが、ほぼスペンサー専用に調整されていたNSR500には大変苦労を強いられる事になります。
セカンドライダーもいない孤軍奮闘状態で3勝をあげたもののヤマハのエディー・ローソンとのポイント差は大きくランキング2位でしたが、本人の不満は大きかった様です。


NSR 0806 NSR 0807

そして87年、スタート方式が押し掛け式からクラッチ。ミート式になった最初のシーズンです。
シーズン前の予想ではガードナーの優勝を上げる人は少なくローソンやスペンサー、はたまたニール・マッケンジーをチャンピオン候補として上げる人が殆どでした。
しかし、蓋をあければローソンはマシンの不調に悩みスペンサーとマッケンジーも序盤に早々と脱落、優勝争いは外足をステップからを外すマモラ乗りで有名なランディ・マモラとガードナーの二人に絞られます。(後半からはローソンも復活、優勝争いに絡みます)
ガードナーはこの年、前年までの荒々しいライディングとは見違える様なスムースなライディングを披露し、マシントラブルやタイヤのミスチョイスなどもあったにも拘わらず全線でポイントを獲得、最終的にマモラ、ローソンに20ポイント以上の差をつけて初のWGPタイトルを獲得します。


Rマーク01 Rマーク02
左が今回のモデル(ixo製)、右が前回までのミニチャンプス製です。
タバコ規制でロスマンズのロゴが使えないのでixoは「Rothmans」の変わりに「Racing」って入れてあます。
どっちの対応が好みかは人によって異なるでしょうね。

翌年以降はエディ・ローソンに加えケビン・シュワンツ、ウェイン・レイニーもフル参戦する様になりガードナーも加えたこの4人の4強と呼ばれる時代に突入して行きます。
88年はエンジンが勝りすぎたNSR500のコントロールに手こずりランキング2位に終わってしまいます。
そして翌年以降、彼は怪我との戦いに終始して行く事になります。
元々割と激しい走りの彼は転倒の多いレーサーでもありました。


Rマーク03 Rマーク04
「Racing」マークは他にもナックルガードとフロントフェンダーに入っています

89年は第3戦で転倒、その怪我で5レース程参加キャンセル、復帰後も芳しくなくランキング10位で終了します。
90年は第2戦で転倒この時の怪我はそれ程でも有りませんでしたが、第4戦で他のライダー転倒に巻き込まれて肋骨を骨折、続く第5戦で右足を骨折、第5・6戦を欠場、復帰後は全て入賞または優勝したもののランキングは5位に留まります。
続く91年もランキング5位に留まった彼はホンダのエースの座を同じオーストラリア出身のミック・ドゥーハンに明け渡してしまいます。
そして92年も初戦で右足を骨折してしまい6戦までの参加をキャンセル、そして11戦で引退を表明しますがその11戦で優勝、続く12戦で4位、最終13戦でも2位に入るなど最後にまた熱い走りを見せてくれました。


フロントタイヤ リアタイヤ
ミニチャンプスでは何故か省略されていたタイヤの「MICHELIN」ロゴも入っています。

幼い頃からその才能を注目され若い時期から順調に階段を上ってきたスペンサーとは対照的に、苦労してステップを積み上げてきたガードナーは、その熱い走りと最後までレースを諦めない姿勢で有る意味非常に日本人好みのタイプのレーサーといえるでしょう。私も大好きなライダーの一人であります。
また彼の活躍した時代は毎年の様にチャンピオンが交代しマシンにも矢継ぎ早に新デバイスが搭載されるなどWGPの話題が豊富で面白い時期でありました。
今シリーズの初回で触れた様にスペンサーの登場時期から日本ではレーサーレプリカといった種類のバイクが非常に売れる様になりました。
しかし、ガードナーが引退した後の時期からはミック・ドゥーハンの5連覇などホンダの一人勝ち時代になり、またパワーアップは続いたものの目新しいデバイスも投入されなくなって来たことなどもあり日本でのWGP人気は急速に低下、レーサーレプリカもネイキッドバイクに人気を奪われて行きました。


ミニチャンプス比較01 ミニチャンプス比較02

ミニチャンプスとの比較(1/12と1/24です)


今年、鈴鹿八耐は久しぶりに前年の観客動員数を少し上回ったそうです。
日本でもまたあの頃の様に二輪のレース人気が高まると良いですね。


NS500 & NSR500

【2006/09/01 00:36】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
ワイン・ガードナー -NS&NSR500 その7-

例によって長くなっていますが、今シリーズもいよいよ最終章、今回と次回は87年NSR500No.2を駆りWGP500ccクラスのタイトルを獲得したライダー「ワイン・ガードナー」に関してそれまでの道のりを主に書きたいと思います。


NSR500 0701


オーストリア人として初めてWGPの頂点に立った彼はWGP参戦以前から鈴鹿8耐や同200キロに参加していた為日本でも人気の有るライダーでした。
その為もあって87年は大いに盛り上がったものです。


1959年10月1日にオーストラリアの最大の都市シドニーに近い「ウロンゴン」という街にうまれたガードナーは10代の前半はカートに乗っていましたが、14才のクリスマスプレゼントに貰ったヤマハGTMX80でトライアルのレースに出場、幾つかの勝利を得た彼は地元のディーラーから小さなレーシングモトクッサーTY80を貸出されます。
そのマシンでショートサーキットレース(ダートレースの様なもの)に参加した彼は1年後にはオーストラリア国内のミニ・バイク選手権で2位に入賞しました。
後年彼がヨーロッパ出身のライダーとしては初めてアメリカンスタイルのスライド走法をマスター出来たのはこの時の経験があっての事だと思われます。


フロントカウル   アンダーカウル
NSRになってからライダー名は透明スクリーンに書かれる様になりました。   アンダーカウルに描かれたスポンサーステッカーロスマンズが無いのが・・・

やがてYZ125に乗り換えた頃には彼はその荒々しい走りから「ウロンゴンのワイルドボーイ」と呼ばれる様になっていました。
そして、17才になって友人に誘われロードレースに参加しそのスピードとパワーに魅了された彼はモトクロッサーを売り払いヤマハTZ250を購入、工場で働きながらプロレーサーを目指してロードレースに参戦し始めます。
ロードレースに転向後、C級→B級→A級と2年間で順調にクラスアップして行きましたが、あるときにあまりにアグレッシブなガードナーの走りが問題となり、彼はスポンサーから半年間勝ってはいけないと奇妙な条件を付けられたそうです。


下チャンバー   エキパイエンド
下2気筒から出るチャンバーはバンク角を稼ぐ為に平坦な俗に言うタイヤキ型。ちょっと綺麗過ぎますね。   リアカウル内の上2気筒分のチャンバーもキチンと再現されています。

79年、カストロール6時間に型遅れのカワサキZ650で750クラスに優勝し、更にオーストラリア・チャンピオンシップで3位に入ったガードナーには翌80年にピーター・モロイがスポンサー兼マネージャーに付き彼にプロレーサーとしてどうあるべきかを色々と教えてくれました。
この年のベル・レイ・スーパーバイク選手権ではホンダワークスのマイク・コールを抑え1・2戦と優勝を収めますが、その後マシントラブルで出場を断念せざる得ませんでした。
しかし、カストロール6時間ででは見事勝利を収めオーストラリアでも新人ライダーとして注目を集める存在に成長して行きます。


フロントホイール   リアホイール
アンチダイブシステムが廃されたフロントフォーク。ガードナー機はカーボン製インナーチューブを採用。
ディスクの表現はやや物足りなさが残ります。
  ニッシン製ブレーキ。ガードナーはカーボンディスクを組合わせる事が多いですが、鋳鉄製ディスクも用意されています。ガードナーはトルクロッドを固定していた事が多かった様です。

そして、この年のシーズン末近く彼に大きな転機が訪れます。
国内選手権最終戦には次の年にグレアム・クロスビーが抜ける穴を埋めるライダーを探す為にモリワキの御大「森脇護」がやって来たのです。
このレースガードナーはポールを獲得するものの本戦ではタイヤのミスチョイスで5位に終わります。
しかし本来エントリーしていなかったオープンクラスに出場しこれに優勝、そのファイト溢れる走りを存分に見せつけ、翌年のモリワキチーム入りを見事決めたのです。


スプロケット


81年モリワキで走る事になった彼はメインステージをイギリスに移し活躍し始めます。
モリワキのライダーとしてこの年日本に来日した彼は鈴鹿200キロで優勝、鈴鹿八耐では前年のトップタイムより2秒86も速い2分14秒76という驚異的なタイムでポールを獲得、スタートで出遅れるも驚異的な追い上げをみせレースを盛り上げましたがスプーンカーブで転倒、リタイアとなってしまいます。
しかし、この一戦で日本のレースファンにガードナーの名前は印象深く刻まれたのでした。

【2006/08/28 01:20】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
NSR500 -NS&NSR500 その6-

今回は前回からの続きでNSR500の開発ストーリーの続きです。


NSR500 0601


86年のNSR500-タイプIII型は大成功を治めたタイプII型のマイナーチェンジ版で各部の熟成が進められた他は大きな変更点は有りません。
唯一ホイールが今までのコムスタータイプからエンケイ製のマグネシュームホイールに変わったのが外見上の大きな違いです。


また、今までスペンサー専用だったNSR500がこの年からワークス入りしたワイン・ガードナーにも与えられる様になりました。
しかし、スペンサーは怪我の為に戦列を離れ、ガードナーもあまりにスペンサー用に特化したマシンのセッティングに苦しみ続け、ホンダは3年連続で得ていたコンストラクタータイトルを失ってしまいます。
このモデル後期には排気デバイスとしてATACに変わって、排気タイミングを電子制御する「RCバルブ」の先行タイプが採用され低中速のトルクをより増強しています。


nsr500 0602   NSR500 0602
フロントゼッケン地の黄色い部分はチョット幅が広すぎで、フロントカウルがやや太めに見えます。
リアカウル上の「SHOEI」ロゴはこの年度のマシンには無い気がしますが、付けていたレースが有ったのでしょうか?

86年の不調を受け87年はミッシュン以外共通部品は無いという位のフルモデルチェンジを受けたNSR500-タイプD型が登場します。
極端にピーキーな出力特性、特異なハンドリングなどスペンサー専用機ともいえたNSR500がこのモデルからガードナーなどの意見を大幅に取り入れGPライダーなら誰でも使える特性の穏やかなマシンに変更をされています。
中でも最大の変更点はエンジンです。
今までの上方シリンダー背後にキャブレターとリードバルブを並べた90度V型からキャブレターとリードバルブをVバンク内に収めた112度V型に変更されました。


フレーム   逆サイド
押し出しアルミ素材の目の字断面ツインスパー・ウルトラ・ライト・フレーム   逆サイドにはステアリングダンパー
ラジエターからの排出口はもうちょっと深い形状です

このエンジンはウォーターポンプやカウンターシャフトの位置なども工夫されNS500の3気筒エンジン並みにコンパクトにまとまっています。
キャブレターの位置変更によって新気も取り込みやすくなり、本格的に採用されたRCバルブの効果と合わせて最高出力は158馬力程度まで発生し、最初のNS500からみると実に40馬力近い出力のアップを遂げています。
エキパイも従来は下方に4本出ていたものが上方に2本下方に2本と振り分けられ、エンジンの小型化と合わせてレイアウトの自由度が増し前年まで出ていたアンダーステア傾向を解消しています。


カウルオープン   ラウンドラジエター
前方にスライドさせるとアンダーカウルが外れます   ラウンド型ラジエータ、フィンの間には墨を流したいところです

この変更によりフレーム幅も狭くなり、スウィングアーム下もスペースが空いた事によりリアサスペンションの取付け位置もより下方に改められています。
前面投影面積を少なくする努力は他にもあり、ラジエターは前年R-VFRに採用され効果が確認されたラウンドタイプに変更されています。
ラジエターはメインとサブの2基ありますが、サブは殆ど使われる事がなかったそうです。
これらの改良は大成功でガードナーにタイトルを獲得させ、5位にニール・マッケンジー、9位に日本人ライダーの八代俊二を送り込んでいます。
また、同じエンジンを積むハブステアのelf4とNSR500を併走させたロン・ハスラムは4位を獲得しています。


エンジン右サイド   エンジン左サイド
エンジン右サイド。乾式のクラッチカバーは別パーツにして欲しかったところです。   エンジン左サイド。クランクケースに何故か「HONDA RACING」の文字が入っていません。

その後NSR500は89年には倒立フォーク採用と180度等間隔同爆仕様エンジンが実験投入、91年にフレームの前面見直し、92年には不等間隔位相同爆方式の「ビックバン・エンジン」、93年からはフューエルインジェクションも一部マシンに採用、97年には再び等間隔爆発の「スクリーマー・エンジン」を採用など改良を加え続けられます。
特にビックバン・エンジン登場以降の94年から98年まではミック・ドゥーハンが5年連続タイトルを、翌99年はアレックス・クリビーレがタイトルを獲得し、ライダー、コンストラクタータイトル共に6年連続でホンダが獲得という黄金時代を迎えます。
2002年にはロードレース世界選手権のトップカテゴリーは大幅な規定変更で「500ccクラス」から500ccまでの2ストマシンと990ccまでの4ストマシンにて競われる「MotoGPクラス」となります。
その規定変更に合わせた4スト990ccV型5気筒を搭載する「RC211V」の登場までNSR500はホンダのエースマシンの座を勤め上げたのです。


NSRとオーストラリア国旗


次回はNSR500の完成期にホンダのエースを努め日本でも人気の高かったライダー「ワイン・ガードナー」についてです。

【2006/08/24 02:05】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ホンダ NSR500 '87 #02 1/12 ミニチャンプス -NS&NSR500 その5-

今回と次回はNS500から発展し長らくホンダのワークスマシンを努めたNSR500の主に初期シリーズについてと、ミニチャンプスから登場した1/12クラシックバイクシリーズN0.24「NSR500 1987 ワイン・ガードナー機」についてです。


NSR500 '87 01


NSR500というと活躍した期間が長いだけに様々なライダーが搭乗しライディングしていますが、私にとって一番思い出深いのはやはり、このガードナー搭乗のマシンですね。
モデルはミニチャンプスの物らしく全体のプロポーション、ディティールともに素晴らしいです。


ただ、金属部分の質感は実物の再現というより見栄え重視な感じとなっておりちょっと残念です。
特にタミヤのNS500の後だと素材等の違いはあるもののコストパフォーマンスの悪さを感じ、この価格だったらチャンバー部分の溶接痕などもうちょっと頑張って欲しかったなぁと思う部分が散見されます。
それと、やっぱり残念なのはロスマンズのマークとロゴが入っていない事ですね。
タバコ規制なんとかならないものですかねぇ。少なくてもこのクラスのモデルは子供向けではないですしねぇ。
とは云うものの全体としては満足の出来る完成度であります。


パッケージ01   パッケージ02
パッケージ外観   開けるとこんな感じ

実車のNSR500は、NS500がタイトル争いを続けていた83年の初めより早くも開発がスタートしていました。
NSの3気筒エンジンよりも高出力な1軸クランクケースリードバルブ90度V型4気筒を搭載した「NSR500(NSRはNew Sprint-racer of Reserchの略)」の開発の中心となったのはHRCの小森正道主任研究員です。
NS500は非常に優れたマシンでしたが、高速性より旋回性を優先したコンセプト故にザルツブルグやスパ・フランコルシャン、シルバーストーンなどの高速サーキットでの不利はあきらかで、年間を通して安定した成績を上げるためにはこれらのサーキットでも勝てる様になる必要がありました。
技術的な面でもラジアルタイプタイヤの登場し従来より高出力にタイヤが耐えられるようになった事、またツインスパータイプのアルミフレームなど車体側もそれに対応した軽量、高剛性のものが出始めておりNS500の開発時と状況が異なって来た事もあります。
また、コーナーで勝負するNS500はライダーに負担を掛けているのではないかという疑念も有った様です。


NSR斜め前   NSR斜め後
ちょっと表面の状態が良くなかったので今回はハセガワのセラミックコンパウンドとコーティングポリマーをかけてから撮影してます。

84年のNSR500-タイプI型はマスの集中化を狙って、通常タンクがある位置に軽いエグゾースト・パイプを配し、重い燃料タンクを逆にエンジンの下にアンダーカウルと同形にして配置した従来と上下が逆になった斬新なレイアウトのマシンです。
しかし、このレイアウトには欠点がありました。
まず、エキパイの下にキャブレターが有るために取り込まれる空気が熱くなってしまい、その為セッティングが狂い予定の出力が出なくなってしまいます。
そして、レース後半になると少なくなった燃料がマシンを切替す度にタンク内部で暴れ周り、操作性に悪影響を与えるという2点です。
その他にも、エキパイの下にエンジンヘッドなどがきてしまう為整備性にも劣る面、ライダーの真下にエキパイが有る為そこからの熱が体力を奪うなどの点も解決が難しい問題でした。


サイドから   上面
タンク形状がちょっと長すぎる気がします。

翌85年はレイアウトを従来のタイプに戻したNSR500-タイプII型となります。
エンジンはエキパイの出る方向を変更したものの基本設計は変わっていません。ただ、4本ともシリンダー前方から車体下に出した為にレイアウトには相当苦労したそうで、最後は現物合わせだったそうです。
大きなトピックはフレームがこのモデルからホンダお得意の目の字断面ツインスパータイプとなります。
ツインスパータイプはダブルクレドールタイプからアンダーチューブを廃しステアリング・ヘッドとリアアーム・ピヴォットを太い箱状部材で直線的に結んだシンプルなフレーム形式です。
ツインスパータイプの利点としてはアルミという素材の特性に合っている事、ねじり剛性が高い事、シンプルな形状の為当時の貧弱なコンピュータでも解析がし易いなどの点があります。
ヤマハは全体の形状が自由にしやすく肉厚も薄くし易いアルミ板同士の溶接方法を採っているのに対して、ホンダは断面形状が自由に出来、溶接箇所も少なく済む材質の押出し法を使用しています。
また、この年からロスマンズ・インターナショナルがファクトリー・ホンダのスポンサーとなった事によりカラーリングが一新されました。


NSR500 0501

【2006/08/21 03:50】 | ミニカー 二輪車 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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